【随縁随意】3.11からの再出発における科学の役目 – 林 清
生物工学会誌 第90巻 第5号
林 清
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震・津波、それに加え原子力発電所事故の緊急対応では、世界のメディアが注目し、モラルある日本人、冷静な判断ができる日本人、協力し助け合う日本人に賞賛が送られた。しかし、1年が経過した現時点で振りかえって見ると、京都の五山送り火で「陸前高田の松」を使用することを巡っての騒動、福島県産農産物の風評被害、被災地の瓦礫処理の拒絶など、放射性物質に対しては過敏な対応あるいはヒステリックともいえる対応もあった。こうした対応においては、理を尽くして議論し適切な判断を下したというよりも、一部の強硬な意見に屈服したともいえる状況もあり、さまざまな問題が提起された。
原子力発電所の事故以前、私たちは放射能ゼロの世界で暮らしてきたわけではない。わが国において、自然界から被曝している放射線量は1.5 mSv/年であり、体重65 kgの日本人男性の体内には、炭素、カリウムなどの放射性物質が7900 Bq含まれている。世界平均はさらに高く2.4 mSv/年である。こうした事実があるにもかかわらず、食品には極めて高い関心がよせられている。
食品安全委員会において、放射性物質の専門家等を含めた「放射性物質に関する食品健康影響評価のワーキンググループ」を設け審議した結果、「放射線による健康への影響が見いだされるのは、現在の科学的知見では、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯における追加の累積線量として、おおよそ100 mSv以上と判断される」とした食品健康影響評価書を2011年10月にとりまとめ、厚生労働省へ通知した。それを受け、厚生労働省では今年の4月から暫定規制値よりも約5倍厳しい新基準で運用しているが、これは国際的に見ても厳しすぎるとも言われている。企業や自治体ではさらに厳しい独自の基準を設定しているところも少なくない。消費者の信頼を得ようとする努力は理解できるが、消費者が一層混乱するばかりか、無意識のうちに放射能被害をうけた産地の排除につながっていることが懸念される。
一方、日本生活協同組合連合会では、家庭での2日分の食事(6食分と間食)をすべて混合したものを1サンプルとし、一般家庭の日々の食事に含まれる放射性物質の量を測定した。被災地を含む18都県の237件(福島は96件)を対象に、検出限界1 Bq/kgで測定したところ、全体の95%からはセシウムが検出されなかった。放射性セシウムが検出された11家庭のサンプルと同じ食事を1年間継続して食べたと仮定した場合でも、食事からの内部被ばく線量は、0.019 mSv~ 0.136 mSvと推定している。
厚生労働省食品安全部基準審査課で作成した資料においても、2011年9月と11月に東京、宮城県、福島県で流通している食品を調査した結果、年間の被ばく線量は0.002~ 0.019 mSv/年と極めて低い。食品に含まれる天然放射性核種であるカリウムによる被ばく線量は0.2 mSv/年であり、セシウムによる被ばくは極めて低いと判断できる。セシウム137は半減期が30.1年と長いことから,10分の1に減少するには100年という長期間を要する。
これからは、長期にわたる低線量被曝との共存社会を目指す必要がある。基準値以下ならば安全であるのは当然であるが、放射能汚染をどの程度まで受け容れるかに関しては、価値判断が多様化している現代社会においては各個人で判断したいと考える者も少なからずいる。放射線に関する科学的な理解のもと、相互に歩み寄りながら妥協点を見いだす必要がある。単に生産性や合理性だけでは判断できないケースもあろう。必要なコストを念頭に入れながら、汚染実態に応じた、地域社会の維持存続をも考慮したきめ細かい対応が必要であろう。自発的なもの、知覚できる場合には不安感は縮小し、身近で起きたり、強要されたもの、人為的原因の場合には不安感が増大する。
生産者、流通・小売業者、消費者などの食の生産・流通・消費にかかわるすべての関係者が、放射性物質の食品影響、健康影響に関して適切な判断ができるよう、正しい科学的知識とバランスのとれた情報を共有することが望まれる。「不安の声」「抗議の声」に耳を傾け、科学的な情報の基で議論を尽くし、コストを意識した適切な判断を下す必要がある。原子力発電所の事故以前は「何も気にすることなく食品を購入し、消費してきた」が、こうしたあたりまえの状況にいち早く戻れるよう、大学、研究機関の関係者が結集し、タイムリーで分かりやすい科学情報を発信する責務がある。「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだ」。明治時代の物理学者、寺田寅彦が残したこの言葉の意味を、いま一度じっくりと噛みしめるべき時ではないか。
著者紹介 (独)農業・食品産業技術総合研究機構(理事)、食品総合研究所(所長)