【ご挨拶】BioscienceとBioengineeringを両輪として – 神谷 典穂
生物工学会誌 第97巻 第6号
英文誌編集委員長 神谷 典穂
この度、英文誌編集委員長を拝命しました九州大学未来化学創造センターバイオテクノロジー部門兼工学研究院応用化学部門の神谷典穂です。就任にあたり、自己紹介方々、会員の皆様にご挨拶申し上げます。
私と本会の出会いは、20年以上前に遡ります。1995年に第47回大会が九州大学工学部で開催された修士2年の秋、私にとってはバイオの専門家が集う学会での初めての発表に、たいへん緊張したことを覚えています。これがきっかけで、当時の指導教官である後藤雅宏先生より投稿を勧められ、本誌への初投稿論文はJournal of Fermentation and Bioengineering(JFB)に受理されました。工学部の片隅でバイオに関する研究を始めたばかりの学生にとって、掲載可否もさることながら、生物工学の専門家からどういった評価が下されるのか、期待と不安を抱きながらの投稿作業でした。結果として受理に至りましたが、率直で建設的な査読意見を頂戴し、その後の学位論文の執筆に大いに役立ちました。学術誌への投稿に際し、自身の研究を客観視し、誠実なreviewに伴う厳しさと温かさ、次の展開に繋がるヒントを求める気持ちは、当時と今であまり変わりはありません。
改めて英文誌の歴史を紐解くと、前身の醗酵工學雑誌には1973年から1976年までは奇数月が日本語、偶数月は英語の論文が掲載され、1977年に和文誌「醗酵工学会誌」と英文誌‘Journal of Fermentation Technology’が誕生します。その後、1989年にJFBへ、1999年にJournal of Bioscience and Bioengineering(JBB)へと変遷を遂げ、現在に至ります。JBBへの名称変更により、本誌のスコープがより幅広い分野の研究者に対して浸透し、新たな研究発表の場として本誌を選択するモチベーションを高める契機となったのではないかと拝察します。
さて、直近4年間の英文誌編集作業は、加藤純一編集委員長と20名の編集委員、7名の海外編集委員、英文誌を担当する編集事務局の方々の献身的なご尽力に支えられてきました。国内編集委員の任期は4年、2年ごとにその半数が入れ替わり、次の担い手に襷が渡されます。私自身は、大竹久夫編集委員長に編集委員としての責務を、髙木昌宏編集委員長に学術誌の編集作業に関わる意味をご指導頂きながら、編集委員を4年間務めました。その後、化学工学会英文誌(JCEJ)、Biochemical Engineering Journal(Elsevier)の編集に携わってきましたが、アジア各国からの投稿の増加に比べ、日本からの論文投稿数の減少を実感・危惧しています。Elsevier社による直近数年間の分析結果によると、本誌への投稿数、掲載論文ダウンロード数の何れも中国が日本を上回っている状況にあります。インパクトファクターが2を超えたJBBへの年間原稿受付数は約850報に至る勢いです。編集委員の多くは若手・中堅の本会会員であり、ご自身の研究と教育に対するエフォートに加え、本誌の編集業務に携わっていることをどうかご理解頂き、査読依頼が届きましたら積極的にお受け頂きますようお願いする次第です。
昨今、非常に多くの電子ジャーナルが乱立している状況にあり、皆様のお手元にも投稿依頼のダイレクトメールが届いているかと思います。なかには一見JBBと見間違うような名称を冠した雑誌もあり驚くこともありますが、JBBはその歴史と伝統から新興雑誌とは一線を画します。科学(Bioscience)と工学(Bioengineering)の両面に向き合い、これらをバランス良く取り扱える点は、国内外の関連学会英文誌や関連商業誌と競争・共奏するうえでの特徴にもなります。最近は産の研究者からの投稿も増えていると聞いており、この点もJBBの強みになると考えます。産官学の会員の皆様からの投稿論文が起点となり、新しい学術や研究開発に繋がる思考の種を与え続けるジャーナルにしていくことが、結果として本誌の価値をさらに高めていくものと思います。
最後に、本誌編集委員長の重責を負うことは、私にとって大きな挑戦であり、新たな学びの機会でもあります。編集委員・事務局の皆様と、著者・査読者・読者として関わってくださる皆様のご意見ご叱正を賜りながら、JBBが日本、引いてはアジア圏のバイオテクノロジーを世界に発信するフラッグシップジャーナルとしてさらに成長するよう、精一杯尽力する所存です。令和元年からの4年間、何卒宜しくお願い申し上げます。