生物工学会誌 第91巻 第3号
五十嵐 泰夫

日本生物工学会は創立90周年を迎え、昨年10月末には、記念式典・祝賀会に続き、記念大会が神戸において開催された。また、この行事の一環として、グリーンバイオテクノロジー関係の国際会議も開催され、さらに韓国の関連学会KSBBとの交流など、国際色豊かな記念大会となった。大阪大学の国際交流センターの活動と協働したアジアでの活発な活動が、生物工学会を特徴づけるものであることはいまさら言うまでもない。このような国際的な展開、特にアジア諸国との連携が、閉塞感漂うわが国の今後の歩むべき方向であることを強く感じた。この点で日本生物工学会は、日本の中で一歩も二歩も先をいっているということであろう。

わが国に色濃く漂う閉塞感、そしてそれを何とか打破して新たな時代を築かねければならないという焦燥感・危機感の中、私はこの3月末で大学を去ることになっている。以下の私の文章は、記念大会で歴代会長のことばとしてポスター掲示、および2号に掲載されたものと一部重複するが、定年を迎える研究者からの若い研究者へのエールの意味も込めて、敢えてまたここに書かせていただきたい。

現在、日本は老齢化社会を迎えている。私たち団塊の世代が年取ってなお元気でいれば、上をふさがれた若い人たちの閉塞感は益々深まるだろう。すでに時限雇用の博士研究員の数はバイオ分野だけで6000人程度に達しているといわれている。この数字は、パーマネントジョブについている団塊の世代が定年を迎えたとしても、とてもさばききれる人数ではない。企業の海外進出の必要性が叫ばれて久しいが、研究者もいよいよ海外、特にアジア地域へ本格的に進出することを本気で考えるときが来ているのではないだろうか。

しかしここでひとつ考えなければならないことがある。それは私がアジア諸国と関わりを持ち始めた30年前と今とでは、状況が大きく変わっているということである。アジア諸国は、現在、経済的にも学術的にも大きく発展・進歩している。以前のように「行ってやる、教えてやる」などという態度は、これからは通じにくくなる。すでに早くに経済的発展を始めたいくつかの国では、自前の科学研究費で独自に物事を進めようとする傾向が強まっている。もともと文化には優劣はない。あるのは違いだけである。基本的には対等の立場で接し、その中でどのようにイニシアチブやリーダーシップをとっていくか、このことが今後の大きな課題になると考える。

そのためには、何が必要であろうか。特に若い人たちに望みたいのは、自らの発想で自らの研究の道を切り開いていこうという気概である。もちろん自ら行なうことのできる研究には枠というか可能な範囲がある。どんなことでもやろうと思えばトライできるなどという境遇にある研究者はまずいないだろう。しかし、たとえグループの中で研究全体の一部を担当していようとも、自分自身の研究をしているという自覚を持って課題に立ち向かっていって欲しい。与えられた枠の中でいかに自分のオリジナリティ、個性を発揮するか、このことを若いうちから常に考えていて欲しいと思う。

たとえ、年を重ね、経験を重ねても、自分の自由な発想が持てないことは、研究者として不幸なことと考える。研究者にとって、常に自分の立ち位置、自分の存在意義をしっかりと認識していることが大切だと思う。そのアイデンティティを持つことによって初めて、閉塞感を打破し、研究者として多難な時代を生き抜く力を得ることができると信じている。オリジナリティやリーダーシップもそのような気概の中から生じてくるものだと思う。

ここに書いたことは、未完のまま終わろうとしている私の「集団微生物学・微生物社会学」から得たひとつの教訓でもあります。若い研究者の皆さんの奮闘を望むとともに、皆さんに明るく楽しい未来が待っていることを、心よりお祈りいたします。


著者紹介 東京大学農学生命科学研究科(教授)

 

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