生物工学会誌 第99巻 第9号
金森 敏幸

あちらこちらで書いているが、19世紀は化学の時代、20世紀は物理の時代で、21世紀はバイオの時代だそうである。このレトリックは、化学が物理(主に量子力学と熱力学)で説明できるようになったのと同様に、複雑な生命現象も化学や物理で説明できるようになった、と捉えることができる。一方で、そういった、いわば還元主義に対するアンチ・テーゼとして自然現象を複雑系として扱おうとする研究が半世紀ほど前に盛んになったが、その対象の最たるものが生命であって、少し前に福岡伸一先生がこの視点を再度取り上げて、『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書、2009年)などの一般図書が話題になった。

○○の時代云々は、勃興する産業分野と対応すると考えることができる。言うまでもなく、製造業は科学技術によって成り立つので、新しい産業は新しい科学技術によって生み出される。筆者の印象では、確かに1990年頃から、化学、材料、機械、電子などの化学と物理によって成熟した産業分野の企業がバイオ分野への進出をより積極的に検討するようになった。本学会は日本生物「工学」会であって、工学の存在意義の第一と筆者が考える「社会への実装」の観点から、今こそ、その意義が問われているのではないだろうか。

筆者はこれまでの経歴、あるいは、現所属のミッションから、どうしても社会実装の点から研究開発を考えてしまう。悲しいかな、純粋に知的好奇心から研究開発に取り込むという素養・能力がないとも言える。
なので、筆者の意見は少し偏っているであろうことを認識しつつ、バイオの研究成果をどうしたら産業に結びつけられるか、について、少し愚考を開陳させていただきたい。

機械や電子部品、材料などの無生物製品と、バイオが対象とする生物製品との大きな違いは、前者が均質・同一を保証できるのに対して、後者はきわめて多様である(均質・同一は期待できない)ということであろう。
バイオの研究成果の社会実装先の一つである医薬品については、世界中でprecision medicineに向かっていることは衆知である。たとえば、iPS細胞が樹立された頃に提唱された、患者さんの体細胞からiPS細胞を経て「その患者さんの」疾患モデルを樹立し、それによって最適な治療法(治療薬のみならず、放射線治療なども含め)を見つけ出すというストーリーが、時間的にも費用面でもSFでなくなりつつある。

均質・同一の製品でのビジネスモデルは少品種・大量生産、およびそれによるコストダウンに立脚する。一方で、バイオ製品は超多品種・少量生産が前提であり、当然コスト高にはなるが、販売戦略上、価格には限度がある。つまり、バイオ製品は、基本的に小商いである。他分野の企業がバイオ分野への進出を検討し始めた頃、多くの企業の皆様と意見交換の場を持たせていただいたが、その際彼らの多くがバイオ分野に抱いていた印象は、ハイリスク・ハイリターン(代表例はブロックバスター医薬品)であって、当時世界的に珍しい成長を遂げていた新興バイオ企業のインビトロジェンの事業内容を例に取って、バイオ分野の特徴、すなわち、超多品種・少量生産、小商いについてご説明した。この特徴は本質的な問題ではあるが、少なくとも米国では、アカデミアの研究成果をスピンアウトベンチャーで製品化し、ヘルスケアあるいはバイオ製品の大手企業(たとえば、ベクトン・ディッキンソンやサーモフィッシャー)にM&Aされるという形で社会実装されるスキームが確立されている。一方我が国では、米国ほどM&Aは盛んではないし、四半世紀ほど前に話題になった「社内起業」が大成功を収めていると筆者は聞かない。また、経済産業省が掲げた「大学発ベンチャー1000社計画」が有効に機能したかどうか、検証してみる必要があるだろう。いずれにしても、本質的に小商いにしかならないバイオの研究開発成果を社会実装する「仕組み」こそが、バイオの時代を花開かせる鍵だと考えている。

学問としての生物工学を深化させるために、還元主義が良いのか、俯瞰的、あるいは構成論的アプローチが良いのか等々、浅学な筆者には分からないが、「工学」の意義が「社会実装」にあるとしたら、深掘りばかりではなく、どうしたら社会実装できるのか?という議論も必要ではないか、と考えている。


著者紹介 国立研究開発法人産業技術総合研究所細胞分子工学研究部門(招聘研究員)

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