生物工学会誌 第99巻 第8号
鈴木 徹

2011年の内閣府による「高齢者の経済生活に関する意識調査」によれば、60歳以上の高齢者が優先的にお金を使いたい項目は、一位が健康維持や医療介護、二位が旅行、三位が子や孫のための支出であった。なるほど、近年の健康科学=長寿科学は最大多数である高齢者のニーズを正確に捉えている。政府のGoToキャンペーンも、辛口批評家たちが批判するよりずっと的を射た政策だとも言える。2020年の時点で国内の健康産業の規模は26兆円、GDPの約5 %で、10年後には37兆円になると予測されている。長寿科学はこれから益々の発展が期待される。健康長寿は全人類のアプリオリな願望だから。

しかし、生物学者の端くれとして冷静に考えると、人間以外にこれほど長寿を希求する種はいないことに気付く。種が維持され、あるいは発展していくために繁殖し、次世代を確実に残せない種は絶滅し淘汰される。寿命は、そのために最適な長さに自ずと収斂していく。たとえば、鮭は数年間の海洋生活の後、生まれた川を遡上し、産卵・受精の直後にすべて死ぬ。植物は基本的にクローナルな増殖が可能であるが、環境によっては毎年種を作り枯れていく一年草と言う戦略を選ぶ種もある。

ヒトにもっとも近いチンパンジーのメスは、死の直前まで排卵があり出産が可能であるそうだ。つまり、ヒトという種は「おばあさん(+おじいさん)」という、孫の世代の養育に特化した新たな生の在り方を、進化のうえで獲得したのである。ほとんどの女性は、生後15年以内に初潮を迎える。そして、妊娠・出産・子育てで15年。その後、孫の養育と子世代のサポートに15年。

織田信長は、桶狭間の戦の折「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」と謡ったが、当時の結婚年齢は15歳。明治期には20歳で成人し結婚、寿命は60歳位。1970年代は25歳までに結婚し、75歳が寿命。現在は30歳が結婚適齢期で女性の平均寿命が89歳。人生は、幼年期、子育て期、孫育て期を経て寿命となる。結婚適齢期と寿命には1:3の法則があるようだ。

ところで、結婚と寿命のどちらが関係性を支配しているかというと寿命の方であろう。童謡「赤とんぼ」の歌詞には「十五で姉やは嫁に行き」とあるが現在ではこれは違法。今の親世代の感覚では、子供が大学卒業後すぐに結婚したいと言えば「少し早いのでは」と嗜める。若者を幼弱化させ自立を妨げているのは親世代。子供の結婚と出産が早すぎると親の老年期に自分の生きる目的がなくなってしまうから。

が、もしこれ以上寿命が伸びると女性の適齢期が出産可能年齢を越えてしまう。現に日本の出生数は1950年には約240万人であったのが、2000年には120万人に半減している。日本人はすでに絶滅危惧種だそうだ。対処法は、早い出産を奨励すること、つまり1:3の呪縛を解き放つことである。具体例として、フランスのように出産と育児に対して公的扶助をして早く子供を産む方が寧ろ有利になるようにする。婚姻に拘る必要もない。出産と子育てをした後でも高等教育が受けられるよう大学も企業も変わる。いや、それ
以上に出産年齢×3以降の新たな人生の役割を創出するべきか。“1:4”の新しい人類の誕生である。健康科学、社会制度、政治、哲学、宗教すべてを総動員し、国やコミュニティごとにさまざまな可能性に挑戦することが必要であろう。多くの失敗の中から数十年かけて新しい次の千年を生き抜くためのライフスタイルを見つけられれば未来は明るい……多分。しかし、最近ではこういった発想は人権問題と受け取られ、きついバッシングを受け、政治の世界ではタブーとなってしまった。

長寿科学は、ゲノム解析を皮切りに、再生医療、ゲノム編集、ビッグデータと人工知能の誕生と共にこれまでにないアグレッシブな進歩を歩み始めた。大袈裟にいえば17世紀に錬金術が化学に止揚した時代のまばゆさに匹敵する光を放ち初めている。これは、もう止められない。

アダムとエバは善悪の木の実を食べエデンの園から追放された。その理由は、神が、人がその次のステップに手を出すことを阻止するため。「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。
彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない(創世記3:22)」。

長い寿命の代償に、人類は新たな荒野を突き進む。


著者紹介 岐阜大学応用生物科学部(教授)

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