生物工学会誌 第99巻 第4号
黒田 章夫

この原稿が掲載される頃には、新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンの接種が始まっているかもしれない。いま人類を救おうとしているこの技術も、最初はまったく相手にされなかったそうだ。カタリン・カリコ博士は、このmRNAワクチンの開発者の中心人物である。カリコ博士のmRNAワクチンの申請書はことごとく却下され、当初まったく研究費がつかなかったとある。今でいう「選択と集中」から外されていたのである。100年以上使われている従来のワクチン技術(弱毒化したウイルスなどを使う)があれば、わざわざ未知のmRNAワクチン技術を採用する必要があるのか?という理由もわからないわけではない。しかし、mRNAワクチンは配列さえわかれば素早く設計して生産できるというメリットを持つ。さらには細胞性免疫を増強剤に依存せず誘導できるというのも強みであるようだ。カリコ博士はmRNAワクチンの優位性を信じて改良を重ね、さらにはベンチャーを作って実用化に邁進してきた。今回、新型コロナウイルスによる世界的なパンデミックにより、突然パラダイムシフトがおこった。いち早く設計して生産できることがワクチン技術の価値観を一変させたわけだ。

東京大学の石川正俊先生が「大学における工学、特にICT分野の教育改革の現状と未来」と題して文部科学省で発表された中に、「独創性の本質」について説かれた部分がある1)。この中で、私は「マーケットがない技術、欧米に競争相手がいない事業、科学技術基本計画にない分野を推進できているか?」という部分が特に好きだ。mRNAワクチンのように、未来のニーズは把握できない。石川先生が述べられているように、研究開発は投資的行為であり、多くは失敗するものであると考えるべきである。新しい研究開発は時として莫大な価値を生むので、ほとんどが失敗に終わっても全体としてはプラスになる。日本人は「投資=ギャンブル」という感覚を改めて、理性的に捉えるべきである。言葉でわかっていてもそのような考えが常には意識されないので(あるいは多人数による選考会になると説得しにくいので)、価値が見通せる無難な研究や聞いたことのある研究が採択される。また同資料の中の「研究段階では社会的価値は見えない、価値が見えるようであれば独創性は低い」という記述は多くの研究者をハッとさせるのではないだろうか。しかし、価値が見えなければ何でもOKであるわけではない。そこが難しいところだ。ある他の先生の話の中で「なぜNatureを読むのか?その理由は自分と同じアイデアでないことを確認するため」と聞いたことがある。すなわち、誰もやっていないことが重要であるということだ。未来はわからないのであれば、少なくとも「誰もやっていない研究」であること、さらにはカリコ博士のように自分でベンチャーを作ってでも「続ける研究」て投資されれば、全体としてプラスになるのではないだろうか。

今、研究者の評価が論文数や引用数というわかりやすい数値に偏っている。若手の研究能力評価としては仕方ないのかもしれないが、テニュアをとった後も同じ基準というのでは日本の将来が危ぶまれるのではないだろうか。大学の校費があまりにも少なくなり、科研費などがもらえないと研究が続けられない。研究員を抱えているとなおさらだ。「独創性」の高さは論文数や引用数とは必ずしも相関しない。恐らく研究初期は相反するので、どうしても「誰もやっていない研究」を始めるのに躊躇するだろう。しかし、テニュアをとった暁には、安寧とした研究ではなく、ある種のリスクをとって「誰もやっていない研究」を始め、さらに論文や特許を出したらそれで終わりではなくゴールまで「続ける研究」を目指して欲しい。

1) 文部科学省 大学分科会(第138回)・将来構想部会(第9期~)(第7回)合同会議(平成29年10月25日)
配付資料1 石川 東京大学情報工学研究科長 提出資料
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2017/10/27/1397784_01.pdf
(2021/01/27).


著者紹介 広島大学大学院統合生命科学研究科(教授)

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