【随縁随意】科学者にとってのwell-being-片倉 啓雄
生物工学会誌 第98巻 第7号
片倉 啓雄
Well-beingということばをご存知でしょうか。直訳すれば「よく存在する(生きる)こと」ですが、福利、幸福と訳されることが多いようです。ここでは、もっとも身近に感じられる「幸せ」と訳すことにします。
1998年にアメリカの心理学会の会長に就任したMartin Seligmanは、well-beingを科学として研究するポジティブ心理学を提唱し、その成果は世界に広く浸透しつつあります。それによると、well-beingは測定可能であり、Positive emotion、Engagement、Relationship、Meaning、Achievementの5つの要素からなるといいます。また、高い幸福度を得るにはMeaningが必須であることが科学的に検証できています。学生や社会人に、あなたが「幸せだ」と感じた状況のベストスリーは、と問うと、美味しいものを食べた、楽しい時を過ごした、ぐっすり寝た、などPositive emotion に分類されるものが圧倒的に多くなります(表1)。論文が受理された、ポジションを得た、合格した、優勝した、などの何かを達成する幸せ(Achievement)、パートナー・肉親・友人・知人と良い関係を保てる幸せ(Relationship)、時を忘れるほど趣味や仕事に没頭できる幸せ(Engagement)がそれに続きます。しかし、以下に例示するMeaningに相当するものをあげる人はごくわずかしかいません。人に感謝された、誰かの役に立てた・必要とされたことなどがMeaningであり、学生の場合だと、チームに貢献できた、ボランティアや文化祭の企画に感謝された、塾のアルバイトで「先生!成績が上がったよ」と言われた、などが、社会人の場合だと、自分の仕事が世に出た、自分の仕事・話が人の役に立った、家族に感謝された、部下の成長を見ることができた、などが具体例としてあげられます。つまり、Meaningとは、価値を認めるものに貢献する幸せ、ということができます。
ところで、研究・開発とは、まだ誰も知らないこと/できないことを解明/解決することであり、私たち研究者・技術者はこれを生業にしています。では、私たちにとってのwell-beingにはどのようなものがあるでしょうか。特に、もっとも重要なMeaningにはどんなものがあるでしょうか。「価値を認めるもの」は人さまざまですが、一つの見方を紹介したいと思います。
工学にはさまざまな定義があり、工学における教育プログラムに関する検討委員会は「数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問」と定義しています。また、筆者は、担当している技術者倫理の講義で、工学を「安全性・経済性・利便性のよりよいバランスを実現する学問」と定義し、「安全性が最優先であるが、ものづくりにおいてはこれらのバランスが重要である」と説いています。これらの定義には何れも「安全」というキーワードが含まれており、安全・安心・健康・福利は、誰もが「価値を認めるもの」と言えるでしょう。
私たち研究者・技術者は、楽しく過ごすPositive emotionはもちろん、研究・開発に没頭するEngagement、同僚・共同研究者・学生・取引先とのRelationship、製品化した・論文が書けた・ポジションを得たなどのAchievementを得ることができます。これらに加えて、私たち研究者・技術者は一般の人たちに比べてMeaningを得る機会に恵まれていることにお気づきでしょうか。自分の強みを活かして誰もが価値を認める安全・安心・健康・福利に貢献することができるからです。成果を論文化したり製品化したりすることだけで満足せず、自分の経験・知識・スキルで何に貢献できるかを考えてみませんか?そうすれば、皆さんの幸福度は間違いなく高まるはずです。筆者のMeaning?それは本稿によって皆さんの気づきに貢献できることです。
著者紹介 関西大学化学生命工学部(教授)