生物工学会誌 第98巻 第6号
後藤 奈美

輸出の現状  日本産酒類の輸出は、ここ8年増加を続けています。もっとも輸出額が高いものは清酒で約230億円、以下、ウイスキー、ビールと続き、酒類の合計は660億円(令和元年)を超えました。とはいえ、フランスワインの輸出額は約1兆円と桁違いで、日本が輸入するワインの約1,800億円と比較してもまだまだ低いことが分かります。一部のテレビ番組では、ニューヨークやパリで清酒がブームになっていると紹介されていますが、それはまだ一部での現象で、逆に言えば、大きな伸び代があると言えるでしょう。

楽しみ方の情報発信  海外で清酒や単式蒸留焼酎のような日本のお酒を楽しんでもらうためには、まず知ってもらうことが大切と思われます。話題を清酒に絞らせていただくと、インターネットなどでの情報発信とともに、海外の展示商談会などで試飲をしてもらったり、清酒の歴史や製造方法を紹介したりすることに加え、清酒と食事のペアリングを紹介することも有効かと感じます。当研究所の味覚センサーを用いた実験では、チーズ(実際は抽出液)の後に清酒をセンサーに浸すと、チーズの後にワインを浸した場合よりもうま味の値が高くなることが示されました。つまり、チーズに清酒を合わせるとチーズのうま味がより引き立ち、一方、チーズにワインを合わせると口中がリフレッシュされて食べ飽きないことを示すと言えます。また、和風の魚料理とワインを合わせると生臭さを感じることがありますが、これは魚に含まれる不飽和脂肪酸にワインに含まれる鉄や亜硫酸が作用して生臭さの成分であるアルデヒドを生じる(この反応は口の中で起こることになります)からと報告されています。一方、清酒と和風の魚料理の相性は抜群で、清酒には鉄分が少なく、亜硫酸もほとんど含まれていないことがその理由と考えられます。

品質の確保と評価と  清酒を輸出する場合、国内よりも流通に長期間を要し、高温に晒される場合も想定されます。このような条件では、清酒に老香[ひねか、タクワンのような香りのジメチルトリスルフィド(DMTS)が主成分]と呼ばれる一般にあまり好まれない匂いが出てしまうことが知られています。当研究所では老香の発生を抑制する研究にも取り組んでおり、酒造メーカーとの共同研究で開発されたDMTSの前駆体をほとんど作らない清酒酵母の試験販売が始まりました。国内向けはもちろん、輸出される清酒への活用が期待されます。現在のところ、清酒は海外の和食レストランを中心に消費されているようですが、今後その販路を広げていくには、ワインの流通やサービスの力を活用していくことが有効と考えられています。その際に気になるのは、ワインの目線や価値観による紹介や評価になっていくことです。地域によって異なる消費者の嗜好を尊重することは大切ですが、一方でオーセンティックな評価方法も情報発信していきたいと感じます。

今後に向けて  海外での清酒の消費が増えてくると、クラフトサケと呼ばれるような海外の人による現地生産も増えてくると考えられます。日本の技術を流出させないように、という考え方もありますが、個人的には日本で清酒醸造を学びたいという人に門戸を閉ざさない国でありたい、と感じます。海外の清酒ファンが増えれば、それだけ本場の日本酒(注:日本酒は国内産の米を原料に国内で製造された清酒を指す地理的表示)を楽しみたい、と思う消費者が増えるのではないでしょうか。日本も海外からビールやワイン、ウイスキーの技術を学び、今では海外からも高い評価を得るまでになっています。とはいえ、やはりフランスワインなどは一目置かれる存在です。さらに、清酒醸造を研究しよう、という海外の研究者も出てくるでしょう。海外のクラフトサケのお手本であり続けられるよう、研究開発や技術革新にも努めたいものです。現在、COVID-19の影響で酒類業界は苦境に立たされていますが、この困難を乗り越えた日には、国内はもちろん、世界中の人々に日本のおいしいお酒を楽しんでもらえるよう、当研究所も力を尽くしたいと思います。


著者紹介 独立行政法人酒類総合研究所(理事長)

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