生物工学会誌 第98巻 第4号
横田 篤

先般、岡山大学で開催された本会第71回大会において、本部企画シンポジウム「持続可能な開発目標(SDGs)を生物工学にどう活用するか」に出席した。時宜を得た企画であった。6人の演者からの話題提供とパネルディスカッションがあり、筆者はバイオエコノミーに関わる後半を聴講した。巻頭言執筆を依頼されて久しく色々と理由をつけて逃げ回っていたが、これを題材として責を果たしたい。

話題の元となった「バイオ戦略2019」は、2019年6月に統合イノベーション戦略推進会議において策定された国の方針である。ただし、バイオの技術面ではなく、バイオを活用して国内外の人材や投資を呼び込んでビジネスを創出し、持続可能で健康に暮らせる社会を作るための戦略である.類似の方針策定が欧州連合や米国、ASEAN諸国で先行する中、我が国は後塵を拝する形になっている.国の持続可能な社会の形成に対する取組みが十分でなかったからであろう。

シンポジウムを聴講して、筆者は本戦略に上滑り感を禁じ得ず、絵に描いた餅になるのでは、との懸念を抱いた。この戦略の立案やシンポジウムに関わられた方々が大学の現状を十分ご存知ないと思ったからである。そこで、戦略の実施を担うべき大学の立場から、シンポジウム終了間際に次のような意見を申し上げた:

「法人化後15年を経た国立大学は弊疲し、大学の教育研究の持続性が大きく損なわれている。戦略の実現にはこうした状況の改善が必要なのに、これに関する言及はどなたからもなく残念だった。それぞれのお立場で正しいことを述べられたとは思うが、大学としては遠い話に聞こえる。」

大学の教育研究機能の健全化は「バイオ戦略2019」の大前提である。このことに関連して、戦略を読んで気になった点を3点あげる。

  1. 我が国の強みであった基礎研究力が低下したのは、従来型の研究スタイル(個別ラボの分散型・縦割り)が原因であるとし、将来の理想的な研究スタイルをデータ駆動型のビッグサイエンスに求めている。あまりにも短絡的である。私の研究室の腸内細菌叢解析では、次世代シーケンスは共同研究者にお願いし、そのデータ解析、動物の飼育、各種の分析は自前で行っている。泥臭い従来型研究を土台として学生が育つのである。その上に新たに必要となる教育研究を積み上げるのが筋であろう。
     
  2. 我が国の強みの一つとして、バイオ医薬等の生産基盤をなす微生物発酵技術をあげている。ちなみに私は学生時代から40年以上発酵生産の研究を続けてきたが、私の定年退職後は、法人化による定員削減のため、この分野の後継者を採用できなくなる見通しだ。このような現状でどうして戦略が実行できよう。
     
  3. 大学側の企業との連携意欲がいまだに低調であることを問題視しているが、私は企業側の責任も大きいと思っている。すなわち、バイオ・食品系の企業が博士課程修了者の採用に消極的であることが発端となり、学生が博士進学を嫌い、研究者人材の育成や学術・開発研究が停滞、産から学への投資が進まず、互いの信頼関係が深まらない、総じて連携の機運が盛り上がらない、と言う悪循環である。ここが欧米と大きく異なる。今こそ博士の採用を民間に一定割合義務付ける国の指導が必要と考える。

日本生物工学会にはこの戦略にどう向き合うかが問われている。学会は戦略を鵜呑みにすることなく、その実現を阻む要因を明確にして、打開のために関係方面に提言や働きかけを行う役割を担う必要があるだろう。この度のシンポジウムがその契機となることを願っている。


著者紹介 北海道大学大学院農学研究院(教授)、日本生物工学会監事

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