【随縁随意】日本酒が面白い-西村 顕
生物工学会誌 第97巻 第8号
西村 顕
今、米国でクラフトサケが人気なのはご存じでしょうか?クラフトサケとは、現地の小さなサケ・ブリュワリーで醸造される日本酒のことで、2018年にニューヨーク州で初めて開設された“Brooklyn Kura(ブルックリンクラ)”で醸造された日本酒は、現地の日本酒ソムリエたちに絶賛されました。米国内には多くの小規模な蒸留所やビール醸造所があります。一方、サケ・ブリュワリーは、Brooklyn Kura を含めて約15か所と少ないのですが、今後参入者が増加すると言われており、クラフトサケがブームになりつつあります。また、米国のみならず世界中で、日本酒の品質・味わいに対する評価は高く、その特異的な醸造技術にも熱い視線が注がれています。
日本生物工学会には賛助会員として多くの発酵・醸造関係の企業が属しています。筆者も大学卒業以来36年にわたり日本酒メーカーに勤務し、現在は、研究部門から離れて経営企画部門にいますが、企業生活の半分を研究開発部門で過ごしました。冒頭に述べた米国での日本酒醸造への熱い視線は、元技術者(研究者)として喜ばしいとともに、世界に発信できる現状の日本酒に関する技術的側面の研究成果が少ないことが気がかりです。
「清酒醸造の歴史は、たゆまない技術革新の歴史」と先輩諸氏から教えられてきました。室町時代の「菩提もと(乳酸発酵の利用)」や「火入れと呼ばれる低温熱殺菌技術(pasteurization)」、江戸時代の「寒造り」、明治時代の「速醸もと」、大正・昭和時代の「醸造協会酵母」の整備、「四季醸造工場」の建設、「連続蒸米機」「大型製麹機」「自動圧搾機」などの開発、昭和から平成にかけては、「生酒劣化防止技術」「高香気生産性酵母」の育種、「発酵制御技術」「麹菌の機能」や「清酒酵母の高発酵能」の遺伝子レベルでの解析など、まさしく技術革新の歴史でした。技術革新のたびに、日本酒の品質が向上し、おいしくなり、さらに安心・安全が付加され、大いに愛され消費されてきました。
しかし、平成から令和に時代がかわるとき、日本酒の現状には寂しいものがあります。30年近く毎年消費量が減少し、日本酒業界全体が疲弊しつつあります。消費が減少した要因は多々ありますが、本学会に席を置き、業界で長く仕事をしてきた筆者には、世界に発信できる最近の日本酒に関する革新的な技術開発、研究成果の少なさが一因ではないかと感じています。
筆者が、研究開発部門のリーダーでいたころ、部下に以下のような言葉(ある本の引用だと思いますが、書名は忘れました)を贈っています。「普通は、研究が進展するにつれ問題が整理され、わかったこととこれから検討すべき点がはっきりしてくる。にもかかわらず、問題が徐々に複雑になる場合は、テーマの筋が良くないか、研究の進め方が良くないかのいずれかだ。良い研究テーマは、どこかすっきりした美しさ、簡明さを秘めている。進め方についても、複雑になるよりも、簡明になっていく方向を選択したほうがいい。さらに重要な要件として、テーマの懐の深さがある。アイデア自身のフレキシビリティ、展開が多様となる可能性を秘めたテーマが面白い。何を美しいと感じ、何を簡明だと受け止めるか、何を懐が深いと思うか、そこに研究者のセンスが問われる。テーマの良否は、そのテーマを考え出した研究者のセンスと切り離しては考えられない。自分のテーマの素性の良否を冷静に問う姿勢を持った研究者は、自分の研究を冷静に見つめることができる。」(これらの言葉が、少しでも若手研究者の一助となれば幸いです)
最後に、令和時代には、本学会の醸造(特に、日本酒)にかかわる技術者、研究者が発奮し、世界に発信できる研究成果を生み出し、そして、日本酒産業を活気づけてくれることを期待しています。
著者紹介 白鶴酒造株式会社(取締役執行役員 経営企画室長 兼 商品開発本部長