【随縁随意】複雑な微生物系に挑む-金川 貴博
生物工学会誌 第97巻 第7号
金川 貴博
自然界では、どの種の生物も、他の種の生物との係わりあいの中で生活している。ヒトでは、他の種の生物を食して生きているという形での係わりあいだけでなく、ヒトの皮膚の表面や腸内には多種類の細菌が生息していてヒトの健康に係わっている。だから、皮膚表面や腸内に、どんな種類の細菌がどれくらいいて、どんな働きをしているのかを解明したいと思うが、複数種の細菌が混じった状態のものを解明するのは、ほぼ不可能である。したがって、皮膚表面や腸内にいる細菌の様子は、よくわからない。こう言うと「最新のDNA解析技術を使えば、かなりわかるはずだ」という反論が出てくるだろうが、本当にそうなのか。DNA解析を行えばたくさんのデータは出る。しかし、そのデータは試料の細菌相をどの程度に反映しているのだろうか。
細菌相解析上の最初の問題点は、試料中のどの細菌からも等しくDNAを抽出する手段がないという点である。DNAの抽出のしやすさは菌ごとに異なり、DNA抽出段階で大きな偏りが生まれる。DNA抽出後の操作としては、菌の同定の指標である16S rRNA遺伝子をPCR増幅することが多いが、ここでも偏りや誤りを生じる。この点について、私は総説に詳述した1)。この総説はELSEVIER社のMost Downloaded JBBArticles(最近90日間)に今もランクインしており、引用回数も増え続けて500回を超えた(2019年5月に確認)。微生物集団を解析したデータには偏りがあることが広く認識されつつあるようである。解析データはあまり当てにならない。
一方で、微生物集団の利用は大いに進んでいる。微生物の利用というと発酵食品や医薬品製造に目が行きやすいが、実際にもっとも微生物が利用されているのは廃水処理分野である。しかしながら、廃水処理分野に微生物の専門家は私以外にはほとんどいない。そもそも微生物学の基本は純粋培養であり、他の種の生物との係わりを断ち切った特異な環境で育つ微生物を対象にして出来上がった学問は、特異な環境(純粋培養系)にしかあてはまらない。自然界の微生物集団を扱うには、現在の微生物学とは異なる考え方が必要であり、微生物学者には不向きな分野と言わざるをえない。どの微生物にも当てはまるような共通事項は使えるが、使える事項はわずかしかない。
それでは、微生物学者は微生物集団にどう挑めばよいのか。ひとまず微生物学を忘れて、微生物集団を注意深く眺めることである。目の前で起こっていることが真実の姿である。微生物集団の中身を解析するのではなくて、さまざまな条件のもとで集団が示す行動を十分に見ることが必要であり、これには膨大な時間がかかる。これを自分で行うのは大変だから、こういう作業は他の分野の人に任せよう。他人の実験や現場のデータを眺めた結果、微生物学者の強みを発揮できそうな局面が来たら乗り出す。「先手必勝」ではなくて「後手楽勝」をねらってみよう。
微生物集団の利用は医学分野でも始まっている。「糞便移植」である。これは、お腹の調子が悪い人を治療するために、お腹の調子がいい人から便をもらって腸内に挿入する方法である。お腹の調子がいい人は、腸内の微生物相健全なのであるから、健全な人から出た新鮮な便を調子が悪い人に入れて腸内に健全な微生物相を作る。「善玉菌?」を入れるのではなく、微生物集団をそのまま使う。廃水処理分野の発想と同一である。
微生物集団の利用は今後ますます重要になるだろう。微生物集団に挑むには、微生物学の常識を捨てて、研究対象をよく見て、考え方を組み立てなおす作業が必要になる。
1) Kanagawa, T.: Bias and artifacts in multitemplate PCR, J. Biosci. Bioeng., 96, 317 (2003).
著者紹介 京都先端科学大学バイオ環境学部(特任教授)