生物工学会誌 第97巻 第3号
秦 洋二

日本生物工学会の始祖は、1923(大正12)年に設立された大阪醸造学会である。名前の通り、清酒醸造などの醸造・発酵分野が中心となった学会である。当時は国税収入の中に酒税が占める割合が2割近くに及び、酒造業の発展は安定な税収確保のためにも重要な課題であった。また単なる「お金」だけの問題ではなく、酒造りのテクノロジーは、当時の微生物学で解明するに非常に魅力的な研究対象であったに違いない。

酒造りにおいては、西洋に先んずること300年以上前から低温加熱殺菌法「火入れ」が導入されていたり、複数の微生物を巧みに操りながら清酒酵母のみを純粋に培養する技術「生もと」が確立されていたり、先人たちの努力により多くのテクノロジーが組み込まれていた。ただ、これら先人たちが苦労して発明したものについて、国際的には我が国が発明者になりえていない。低温加熱殺菌法の発明者は、火入れの完成から300年後のルイ・パスツールである。なぜか?それは、清酒製造におけるテクノロジーについて、その理屈が解明されていなかった点があげられる。ヨーロッパのような多民族で構成される地域においては、人種、言語が異なる相手を納得させるために「理屈」で説明することが要求される。まさしくパスツールは、低温加熱により混入する乳酸菌が死滅することを理屈で明らかにした。一方我が国のように、ほぼ単一民族で同一言語を使用する地域においては、理屈もさることながら「情緒」を含む人間同士の信頼関係で他人を説得することが多い。酒造りをはじめ、日本の伝統的技術においては、当時の世界に先んずる発明が多数見いだされているが、残念ながら理屈の解明がなされずに、その多くについて世界の中で発明者の名称は与えられていない。

このような「宝の山」であった清酒醸造技術を当時の最新の科学理論で次々と解明していった原動力が大阪醸造学会であった。大阪醸造学会の学会誌である『醸造學雑誌』の創刊号には、清酒醸造におけるさまざまな問題点を技術的に解決する論文はもちろんのこと、「清酒醸造上の持論」のような論説記事や、「南シナにおける酒類」といった国際色溢れた論文まで掲載されている。また同年は関東大震災に被災した年でもあり、下半期の学会誌には、「大震災と諸味仕込用タンク」といった時事に迅速に対応した記事も紹介されている。学会誌として、清酒醸造の技術的な学理の解明だけでなく、さまざまな分野で酒造産業の発展に貢献した雑誌であったことがうかがえる。

生物工学会は、4年後の2023年に創立100周年を迎える。醸造・発酵が中心となってスタートしたが、現在は生物化学工学として微生物が関係する幅広いプロセスに応用されるようになり、さらに酵素工学、動植物細胞工学とその研究対象が広がり、近年は生物情報工学など新しい分野との融合も図られ、幅広い研究領域を網羅する学会となった。設立当初の大阪醸造学会が対象とする産業分野が醸造・発酵産業に限られていたものが、いまでは食品産業はもちろんのこと、医薬、医療分野、環境分野など、学会が貢献すべき産業分野も大きく広がっている。かつての大阪醸造学会が酒造業の発展に大きく貢献したように、現在の生物工学会もその波及する産業界の発展に大いに貢献して欲しいと願う。そのためには何が必要か?その一つに「枠を超える」「壁を取り除く」ことがあげられる。『醸造學雑誌』が、学術誌として単なる技術・研究報告にとどまっていたならば、酒造業への影響力は限定的であったかもしれない。学術誌の枠を超え、酒造業の発展に必要な情報提供を進めたが故、業界への貢献度は飛躍的に向上したのではないだろうか。先述のように生物工学会が関係する研究領域は非常に多岐にわたっている。この多様な研究領域の枠を超えて、異業種の壁を取り除いて、さまざまな産業に貢献できる技術シーズを学会から発信し続けることを期待する。


著者紹介 月桂冠(株)総合研究所

 

►生物工学会誌 –『巻頭言』一覧