生物工学会誌 第97巻 第1号
山本 秀策

デジタル革命の急速な進展に立ちすくむだけのそんな日本に、労働人口の減少という国力衰退の始まりが重なり、再生を期して国を挙げての「生産性向上」「イノベーション創出」のかけ声も、ただ虚しく響くだけ。今こそ大学は、その「知」を生かし、日本の再生に貢献すべき時ではないか。古くて新しい喫緊の課題である。
知財の視点から私見を述べたい。

2017年3月のネイチャー特別企画冊子は「日本の科学研究は失速か」という問題を提起した。日本の研究論文数が世界で相対的に減少している。特に物理、生物学、免疫学、コンピュータ科学で、いずれもこれから最重要視される領域である。日本政府の科学への資金が停滞し、各大学は研究者の雇用を短期契約に舵を切らざるを得なくなったなど、要するに研究費がないのがその理由ではとのこと。

表1は日本の大学のライセンス収入トップ5を示す。表2の米国に比べて日本は2桁少ない。日本の全大学の合計額も米国のそれより2桁少ない。いったいこれは何だ。

 

表1.日本の大学ライセンス収入TOP5(2016年度) 

 

表2.米国の大学ライセンス収入TOP5(2016年)

 

2017年8月のネイチャー・インデックスがイノベーション・ランキング・トップ200を示した。トップ30までが米国の大学。31位に初めて日本の大阪大学が登場。日本の2位が理研、ランキングにして39位。日本の3位が京大、ランキングにして53位。特許に引用された研究論文の引用回数から研究論文を評価したとのこと。

表3は米国の大学の特許出願件数トップ10を示す。そこに示すノーベル賞受賞者数と高い相関を示し、同時にライセンス収入とも相関している。この出願件数トップ6位までの大学にノーベル賞が集中し、ライセンス収入も多額、しかも上記イノベーション・ランキング上位30内にすべて入っている。

 

表3.米国の特許出願件数上位10大学,ノーベル賞受賞者数およびライセンス収入

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、イノベーションの観点から高いランクに評価される研究論文の出る大学にノーベル賞が集中し、特許出願が多くライセンス収入も多額ということである。

この事実は、これら大学は、特許などの知財に対する認識が高く、かつ上流側に位置する基礎研究から民間企業に魅力的な下流側の応用研究に至るまで広範にわたって優れた業績を上げているということである。

米国の大学はその存在意義を「社会への還元」と周知していることから、企業への協力という点が重視され、それが同時に研究者の評価の指標となる。研究の方向は必然的に社会に向かう。ゆえに大学発ベンチャーが多く輩出され、多額の投資がそれになされる。投資競争は過熱気味で、投資側は少しでも有利なポジションを占めようと、上流側の基礎研究にも投資対象を広げる。研究者は基礎研究に没頭できるというわけだ。魅力的で優れた研究をする大学には必然的にお金が集まり、大学はそれを独自に運用し、運用益は研究費に使われる。

日本は、研究者が伝統的に下流側に位置する応用研究を嫌う。大学発ベンチャーという発想がそもそもない。ゆえに民間企業には、その研究成果は魅力的でなく興味もない。その結果、企業にも大学にも研究成果に対するお金が入ってこない。大学の存在意義に日米間で差はないはず。学問の府にいつまでもとどまっていては「社会還元」という使命を果たすことは難しい。

「武士は食わねど高楊枝」という古い表現がある。「清貧と体面を重んじるのが武士」という意味である。もはや「武士」を「研究者」と読み代えて納得している時代ではない。研究費を国に頼る時代も終わっている。
自分の研究費は自分で稼ぐべきで、主体的戦略的に研究活動を立案し実行すれば可能なことである。知財の威力、特許の威力をしっかり認識し、生かすことだ。

日本政府は、この度、交付金の一部を成果重視で配分する意向を示した。成果の評価はベンチャー設立や企業との連携とのこと。当然の施策である。大学人は真剣に社会に目を向け、その「知」で研究費を稼ぐことを視野に研究に向うべきで、それが今、社会が大学に求めていることである。それこそが大学が果すべき「社会への還元」の第一歩であり、日本の再生への貢献ということではないだろうか。


著者紹介 山本特許法律事務所 弁理士

 

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