生物工学会誌 第96巻 第11号
堀内 淳一

本学会の会員には、大学教員はもちろんのこと、民間企業の研究者も多く含まれている。筆者は大学院の修士課程を修了後、民間企業に約15年勤務し、その後大学に転じ約20年勤務してきた。ここでは、これらの経験をもとに、企業研究者と大学教員について思いつくままに比較し、読者の参考に供したい。

本学会会員の仕事は主に研究である。問題を解決するために文献を調べ、仮定を立て実験を行う研究の進め方そのものに、企業と大学で違いがあるとは思えない。しかしながら、研究の動機には大きな違いがある。企業における研究活動は、経営目標を達成するための手段の一つである。したがって、研究テーマは企業戦略の中で重要な、優先度の高い課題が選択され、そこに研究者の趣味が入る余地はない。一方、大学教員の研究の原動力は、特定の領域に関する強固な知的関心であり、本質を明らかにしたいという個人的欲求である。解くべき問題は、企業研究者の場合は社会やマーケットにあり、大学教員ではその人の心の中にある、と言っていいかもしれない。

研究成果は、企業では商品やサービスとして社会や消費者に提供される。研究成果が目に見える形で世の中に出ていく醍醐味は、企業研究者の特権だろう。大学では、研究はオリジナリティにより評価され、論文数が重要になる。大学で継続的に論文を出し続けるためには、研究に対するモチベーションに加え、強いメンタルが求められる。以前に比べ、大学教員の論文数は大幅に増加しており、ポストの減少と相まって企業研究者の大学への異動が難しい時代である。企業における研究は組織的に行われ、大学での研究は個人的に進められる。企業では、あるテーマを誰が担当するかは会社の都合で決まり、チームで研究が行われ、多少休んでも研究は支障なく進んでいく。大学の研究は個人の意思と責任に基づいて行われ、本人が休むと進捗は直ちにゼロになる。組織人として歩んできた企業研究者が大学に異動することは、大企業のサラリーマンが自営業者になるのに似ており、それなりの覚悟が必要である。

大学教員の重要な仕事に講義や研究指導などの教育がある。実は企業研究者は、仕事として教育を考える機会は余りない。筆者も大学に転じた時、若い学生たちに何をどのように教えていくべきかについて、深く考えたことがなかったことに気づかされた。会社にいた時のペースで学生に厳しく接し、見兼ねた上司の教授から「先生、教育は忍耐ですよ。」と諭され未熟を恥じたものである。せっかちな企業出身者には、誘導期にある学生の成長を辛抱強く見守ることが難しかったのである。実際、日々学生から教えられることも大変多く、その成長を身近に見ることは、大学教員でなければ得られない貴重な機会であろう。

企業研究者のキャリア形成には難しい面がある。企業のキャリア育成システムは、研修や海外勤務、ローテーションなどにより、バランス感覚や広い視野を持った経営中枢を担う人材の育成を目的としていることが多い。残念ながら研究をいくら一生懸命やっても大組織の運営能力は身につかない。このため企業研究者は一定の年齢で、このままスペシャリストとして進むか、マネジメントに進むかを決断する必要がある。筆者は結果的にこのタイミングで大学に異動したことになる。一方大学では、指導教員の下、専門分野を深く極める教育が行われるが、かなり若い段階で人材を絞り込み、その将来性を見極めねばならない点が大変難しい。テニュアのポジションが得られれば一般に定年まで研究を継続する環境が保証される。

最後にお金の話をするが、国立大学法人では、教員一人に配分される研究予算は旅費込みで概ね年100万円以下である。学生の人件費がタダであることを考慮しても、企業で使える研究費の1/10以下と考えてよい。このため研究室の維持に外部資金の導入は欠かせない。ちなみに筆者の場合、30代後半で民間企業から大学に移った際、年収で約2割減少した。大学教員は蓄財には向かない職業である。


著者紹介 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科(教授)

 

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