生物工学会誌 第96巻 第10号
中山 亨

最近、イタリアのカターニア大学のプルチーノらによる「才能か運か」と題する興味深いアーカイブ(arXiv)論文1)が出版された。世の中の富の分布には「パレートの80:20の法則」というものがあり、富の8割は人口のわずか2割で所有されるという。世界でもっとも富める8人の財産の合計は、世界の貧困層36億人の財産の合計に等しいという計算もある。このように、世の中の富の配分は「べき乗則」に従う不均衡なものだという。

IQなどの人の能力は統計的にガウス分布を示すのに、富の配分はなぜそうならずに「べき乗則」に従うのか?プルチーノらはコンピュータモデルを用いてその理由を解析した。その結果、成功と才能との間には必ずしも相関がなく、富の不均衡な配分を生んでいる要因は、ひとえに「運」であることが示された。彼らの結論は、富める人々は幸運に恵まれた人々でもあり、貧しい人々は運に恵まれなかった人々であるというものだった。

この論文が特に興味深いのは、研究費の配分にかかわるこの種の問題の解析にも取り組んでいることである。科学的発見に関わるさまざまな逸話が示しているように、科学的発見に「運」が果たす役割は大きく、これをセレンディピティという。プルチーノらは、いくつかの研究費配分モデルを設定し、セレンディピティを考慮した場合にどのモデルが最大の効果を生み出すかを調べた。設定したモデルは、「すべての科学者に均等に研究費を配分する」、逆に、極端な配分格差をつけて「過去に高い業績を上げているごく一部のエリート科学者のみに配分する」、および、それらの中間の配分方法からなる19パターンであった。シミュレーションの結果、最大の効果を与えたのは「すべての科学者に均等に研究費を配分する」であった。

翻って、わが国の大学への研究費の配分はどのようになっているのだろうか?この点に関しては、日本学術振興会学術システム研究センターの黒木登志夫顧問による興味深い分析結果がある2)。それによれば、研究費配分には大学間格差があり、これも「べき乗則」に従うという。すなわち、大学への研究費配分額(教員あたり)の対数を、配分額に基づく大学ランキングの順位の対数に対してプロットすると、右下がりの直線関係が成立する。この負の傾きが大きいほど大学間格差が大きいことを意味する。

この「べき乗則」はわが国のみならず、英米独の3か国についても成立する。重要なことは、この「べき乗則」の成立においては研究費配分に関するその国の施策の特徴が明確に反映されていることである2)。日本も含めた4か国間の比較では、この負の傾きはわが国がもっとも大きく(–0.92)、次いで、英国(–0.64)、米国(–0.27)、ドイツ(–0.25)の順である。すなわち、わが国の研究費の配分のされかたは4か国の中ではもっとも不均衡で格差が大きい。一方、ドイツでは上述のプルチーノらの結論にもっとも近い、格差の小さいやり方で研究費が配分されていることになる。わが国の科学研究が低迷し、世界におけるその相対的地位を下げつつあるなかで、近年ドイツの科学研究が存在感を増しているという最近の新聞報道3)は、プルチーノらの結論に照らして納得がいく。

ルイ・パスツールは、「幸運は準備された心のみに宿る」と述べた。「準備された心」はたゆみない研究によって培われるのだから、そのための基礎体力となる研究費くらいは皆になるべく均等に配分した方が全体的にはより多くの幸運の女神が微笑むことになるのだ……プルチーノらの結果はそのようなことを意味するように思われる。国立大学の場合、1990年代までは積算校費がそうした財源の一部として機能していたと思われるが、積算校費に代わる現在の運営費交付金はそのような状況にはない。国レベルで見た場合、研究費の極端な配分格差は研究や研究者の多様性を失わせるとともに、科学の発展に不可欠な研究者層の厚みも失わせる。わが国の科学研究の力量を高めるための方策を考えるうえで、プルチーノらの論文の結果は示唆に富んでいる。

1) Pluchino, A. et al.: arXiv:1802.07068v2 (2018).
2) 黒木登志夫:IDE 現代の高等教育, 589, 17 (2017).
3) 朝日新聞 2018年3月1日付.


著者紹介 東北大学大学院工学研究科(教授)、日本学術振興会学術システム研究センター(専門研究員)

 

►生物工学会誌 –『巻頭言』一覧