生物工学会誌 第95巻 第4号
山本 憲二

生物工学という分野は非常に幅が広い分野であると思う。工学や農学のみならず理学や薬学、医学をも包含した分野で、生物工学会大会での発表者の所属を見ると非常に幅広い分野の研究者がいることに驚く。考えてみると生物工学という名前は少し奇妙で、曖昧でもあり、一体どのような研究が基本的に行われているのかイメージし難いところがある。生物を工学的な視点から見ることなのか、生物を技術的に扱うという意味なのか、わからない。英文ではバイオテクノロジーと訳されているので、その名前の魅力がいろいろな分野から研究者が集まる要因になっているのであろうか。

私は農芸化学の分野に立ち位置があり、応用微生物学が研究分野であるので、学生のころは、当時は醗酵工学会と称していた当学会の、醗酵という名前はともかく、工学という名前にやや違和感を感じ、学会との距離を感じていた。工学という領域はちょっとわからないなという感覚があった。しかし、バイオテクノロジーの学会といわれると私たちが応用微生物学の分野で研究していることはまさにバイオテクノロジーではないかと考えてこの学会に参加することに余りためらいはなかった。

よく考えてみると、生物工学という領域の中でも私たちはどちらかといえば、スクリーニングなどのローテクノロジーを操って有益なもの、実用的なものを天然界から見いだすことが主な仕事である。とにかくやってみないと分からないという世界である。一方、工学的な視点では、ハイテクノロジーを用いていかに実利的なものを早く、多く作り出すことに重点がおかれているように感じる。要はいかに合理的な方法でもの作りをすることが重要であるかという世界のように思える。一見、両者はきわめて違った手法によって目的を達成しようとするように思えるが、どちらもバイオテクノロジーには変わりないでしょということで同朋意識が芽生える。バイオテクノロジーという言葉は魔法のような言葉である。魔法のような言葉であるが故にわからないところも沢山あるけれども、同朋意識を芽生えさせる不思議な言葉でもある。

私が若い頃の工学部出身の方々は、まるでブルドーザーのような方々が多く、活発で頭脳明晰で、少しこわもてのような人が多いと感じていた。だから、工学の分野に入ることには一種の恐れのような気持ちがあった。しかし、私が専門領域としている「糖鎖」の世界で、糖鎖工学はグライコテクノロジーと訳されているが、その工学の本質は私たちが農学の領域で行っている微生物の酵素を使って糖鎖を自在に切ったり貼ったりすることに他ならないということに気付いた。すなわち、私たちがやっていることはまさしく工学だということに気づいて、生物工学をより身近に感じるようになった。ただ、生物工学会では大会の講演セッションとして「糖鎖工学」があるものの、演題数が例年わずかであって風前の灯火のような状況にあるのは残念である。

最近の生物工学会大会で発表されている内容からは従来の工学のイメージを抱く発表や講演が少なくなっているような気がする。いわゆるバイオテクノロジー的な内容が多くなり、工学に関わりのある学会という色彩が薄くなっているように感じる。私はこれを良い傾向であると思っている。私が若い時に感じたように、工学という言葉に少し距離感を感じる若い方々にも、その研究分野の内容の多彩さがわかってもらえれば、もっと門戸が開かれるような気がする訳である。生物工学よりもバイオテクノロジーの学会と認識してもらえるようになる方が良いのではないだろうか。

バイオテクノロジーという言葉は不思議な言葉であり、まさしく魔法のような言葉である。


著者紹介 石川県立大学生物資源工学研究所(教授)

 

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