生物工学会誌 第95巻 第3号
清水 範夫

大学を卒業して企業の研究所で研究開発を担当し、その後、大学に奉職して教育と研究に従事したことから、企業と大学の両方の事情を経験しました。その経験から、研究を推進し、研究成果を社会に出して貢献するにはどのようなシステムが良いかについて考えるところを述べたいと思います。

企業の研究開発では経営方針に基づいた研究テーマが上長から与えられます。企業に就職した1970年頃は、公害が大きな社会問題でしたので、大型培養槽を高濃度有機性排水処理に適用する研究開発を行いました。小スケールから大型試作装置による実験を経て、営業活動を支援して製品化することができました。

1980年頃には、コンピュータ制御培養装置の研究開発に従事し製品化しました。当時の企業の研究は、このように研究から製品まで自社開発で、研究開発に投資して製品化していくという大きな自信があり、自前主義にいささかの疑問も持たなかった時代でした。この頃は、エズラ・ヴォーゲルが著した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に象徴されるように日本経済の黄金期でありました。そして、より先端的な科学技術開発を目指すために、基礎研究所設立のブームが起き、社内に設立された基礎研究所において少し先の製品の開発を目指しました。この時期に日本は急速に科学技術レベルを上げることができたと思いますが、基礎研究ブームは長く続かず、バブル経済の崩壊により基礎研究所は縮小されました。これ以降、日本の景気が低迷するにつれて研究開発にも勢いがなくなりました。

その後、新学部の創設とともに大学に移りました。大学は教育と研究の場であり、企業で研究開発をしていた環境とは異なっていました。研究テーマは自由に選べたことから、自分が関心を持つテーマについて少ない予算でしたが研究ができました。しかし、学生に論文を書いてもらう必要があり、大胆な研究ができませんでした。また、企業からの依頼で製品開発にも携わりましたが、製品開発にはもどかしさがありました。自前主義に陥っていたように思えます。

大学を定年退職してからは、技術調査をしていてオープンイノベーションを知りました。この定義は、「組織内部のイノベーションを促進するために、意図的かつ積極的に内部と外部の技術やアイデアなどの資源の流出入を活用し、その結果組織内で創出したイノベーションを組織外に展開する市場機会を増やすことである」(オープンイノベーション白書、2016年)とされています。企業を取り巻く競争環境が厳しくなっており、自社だけではイノベーションを起こすことは不可能になっていることから、世界中の技術資源を活用するオープンイノベーションは企業にとって今後の成長を確実にするための重要な戦略といわれています。しかし、日本ではまだ6割程度の企業は自前主義の傾向が強い現状です。

米国のシリコンバレーはオープンイノベーションで有名ですが、最近、イスラエルではベンチャーキャピタルなどからの投資により多数の先鋭的なベンチャー企業が創出されています。これらのベンチャー企業は開発した技術や製品をM&A(合併や買収)などにより素早く市場に出しています。企業だけでなく大学も含めてオープンイノベーションを遂行すれば、自前主義に固執して企業活動の停滞を招くことなく、体質改善されて、大きな飛躍を遂げることができると思われます。

日本でも大学発のベンチャー企業が設立され成果をあげていますが、リスクが大きいため若い人が起業に躊躇するのではないかと想像されます。しかし、多くの企業がオープンイノベーションにより先鋭的なベンチャー企業を支援すれば、企業からスピンアウトしたベンチャー企業や大学発のベンチャー企業の創設が活発になるのではないでしょうか。ここで生まれたベンチャー企業によって、以前のように我が国の産業が世界をけん引するエネルギーを生み出すように思えてなりません。


著者紹介 東洋大学名誉教授、東洋大学バイオ・ナノエレクトロニクス研究センター(客員研究員)

 

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