生物工学会誌 第95巻 第1号
川面 克行

皆さま明けましておめでとうございます。平素から学会活動にご尽力いただいている会員各位の皆様に心より御礼申し上げます。2013年に園元会長が掲げられた活動方針、すなわち3つの行動、7つの課題を着実に推進実行して参りますので皆様方のご支援を宜しくお願い致します。とりわけ学会財政基盤の盤石化は喫緊の課題でありご協力のほどお願い申し上げます。

さて2016年は英国のEU離脱、米国のトランプ大統領の選出、韓国の朴政権の混乱等々、世界の潮流が大きく変化しているように見受けられました。いずれも内向き優先の考え方に端を発した出来事であり、人の心の本質を問われる選択であったのではないでしょうか。このような難しい選択は個人としても社会の一員としても、いや応なしに迫られます。何かを決断する時はまずデータを集め、人の進言を受け、できる限り広範囲の情報を集め、その中から何かを選択して実行に移すわけですが、昨今はこのような選択を人工知能(AI)に頼るようになってきているそうです。

たとえば2016年11月7日付けの日経新聞に次のような記事が掲載されていました。外国為替市場で英ポンドがわずか2分間で6%急落し31年ぶりの安値となったそうです。その要因と考えられるのがAI対AIの自動取引だといわれています。AIに取り込まれた各種情報を瞬時に分析したうえで、どのような影響が出るのかを推定し、売るのか買うのかを決断して実行する、これがAIによる自動取引です。こうなるといかに優れたAIを保有するかがすべてであり、トレーダーと呼ばれる人達の代理戦争をAIがやっているようなものです。ここでいう優れたAIとは、ハード、ソフトは言うに及ばず、いかに正しい情報を大量に蓄積させることができるか否かだと思われます。株式取引のAI情報の中には各企業トップの能力データが保持されており、CEOはAIの評価の下に格付けされています。とてつもなく悲しい話ではありますがAIの世界はここまできてしまいました。

あるいはこんな話もあります。このあいだテレビを見ていると、長年胡瓜栽培を続けてきた農家にAIが導入されたというのです。収穫した胡瓜の等級を9種類に選別するうえで、熟練のおばあさんが一瞬にして判断する人間の能力をAIに移植したそうです。数千枚の等級分けされた胡瓜の写真を撮り、選別された理由をおばあさんの目を通したカメラからその着眼点を探り、大量の画像をAIに蓄積させたうえで検査対象となる一本一本の胡瓜と画像を比較して選別処理するそうです。こうして選別された胡瓜の等級分け正解率はまだ70%程度だそうですが、検査を重ねていくうちに間違いなく、おばあさんを追い抜いていくものと想像できます。

このように大量の画像や判断基準の観点になるようなデータをどんどん積み重ねることをAIの世界ではディープラーニングといいます。さて、ここで一つハッキリしてきたことがあります。ディープラーニングの部分でAIと記憶力を競ってみても無駄なことです。新たな着眼点や新たな発想こそがまだ人間に与えられているAIより強い領域なのです。そして人間の深層部分はこれからも未知の領域であり、まだまだAIには理解できないのではないでしょうか。

アメリカの大統領選挙の事前データに、人間の深層部分が反映されていなかったので、あのような誤った予想結果となったのでしょう。ホーキング博士は「強力なAIの登場は人類にとって最高にもなりうるし最悪にもなりうる」と警鐘を鳴らしています。ディープラーニングのデータを与え続けるのは人間、そしてその結果を利用するのも人間。しかしAIがリテラシーを持ち始めて独自でデータ集めが可能な状態になる前に人間はAIを手なづけておく必要があります。いよいよ日本でも創薬用AIを50社が共同使用し世界の製薬会社と戦う時代がやって来ました。いつの時代も、我々のように科学の進歩に携わっている者は正しい倫理観が求められていることを忘れてはなりません。


著者紹介 前アサヒグループホールディングス株式会社(代表取締役副社長)

 

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