【随縁随意】研究における個性-根来 誠司
生物工学会誌 第94巻 第10号
根来 誠司
研究に対する価値観は研究者によって異なるが、「新規性・独創性」と「社会貢献」を判断基準にするという点では共通しているであろう。しかし、ここでは見方を少し変え、研究における「個性」という面から考えてみたい。定年を間近に控え、思いがけず、今回、執筆の機会をいただいた。これから研究室を立ち上げる方や、研究者を目指す若い方への提言としてお読みいただければ幸いである。
学生に同じテーマを出しても、その後の発展の経過は、直接、その研究を行った学生の「個性」により、大きく変わる場合がある。実験の上手下手も個性の一つと言えなくもないが、期待した結果が得られなかった時に、その研究を中止するのか、あるいは、新たな方向性を見いだすのかは個人レベルでの判断になる。潜在的に重要な事実を含んでいるにもかかわらず、見過ごされる場合も多い。特にその分野を取り扱う研究者が少ない時には、その研究を行っている本人が気付かなければ、永遠に埋もれたままになる可能性がある。一方、見落としてしまいがちな些細な現象に気付き、その研究を発展させて、人類に大きな福音をもたらす可能性もある。フレミングが、カビが生育したシャーレの周辺でバクテリアの増殖が抑えられるという現象からペニシリンを発見したという話は有名であるが、これは後者の例であろう。
さて、研究テーマは自由に選択できるはずであるが、実際には多くの制約の中で選ばざるを得ない。卒研生としてある研究室に配属されれば、その時に出された数個のテーマから一つを選び、研究活動の第一歩を踏み出すことになる。企業の研究開発では、その制約はより強いと思われる。私事であるが、40年ほど前に、大阪大学・岡田弘輔教授の研究室で卒業研究のテーマとして与えられた課題は、ナイロン工場廃棄物を分解する酵素の一つを精製するというものであった。
当時は、遺伝子工学の黎明期であり、抗体遺伝子の構造など画期的な成果がNature、Science、Cellなどに続々と掲載されていた時期であった。私の場合、卒研テーマとして与えられた酵素の精製がうまくいったことから、大学院では、「微生物の環境適応や酵素進化を理解するためのモデル系」という意味と、「遺伝子工学の研究室への技術導入」という目的から、その酵素の遺伝子組換え実験を始めることになった。その後、同じ研究室で助手・助教授として在籍させていただき、現在の大学に移った後も、テーマを中止する必然性がなかったことから、結果的に現在に至るまで、この流れの研究を続けることになった。研究内容として「立体構造に基づく触媒機構と熱安定化機構の解析」「加水分解酵素の逆反応を利用したアミド合成」「ナイロンポリマーの分解と再資源化を考慮したポリマーの探索」へと展開し、現在、「非天然アミノ酸の代謝工学に関する研究」を始めているが、最初の一歩がその後の研究を方向付けることになった訳である。
環境・エネルギー問題、医用材料・新薬・新機能物質の開発などにおいて、すでに中心的課題として認知されているものについては、多額の競争的資金が投入され、共通の目標に向かって多くの研究グループがしのぎを削っている。この中でも新規性と独創性が重要であることはいうまでもないが、現在注目されている分野は、これを注目させた先人の研究に基づくものである。一歩先んじた研究者は、個人の業績評価のみならず、産業化につながる場合、市場確保の面で優位になるが、その研究者でなくても別の誰かが同時期に成功するとすれば、社会全体から見れば、同等の恩恵を受けたことになる。一方、その研究者がいなければ、その分野が展開できないような研究もある。研究領域が細分化した現在では、独自性の高い題材を見いだすことが困難になりつつあるが、将来を担う研究者には、後者がイノベーションの原点であることを心に留め置いていただきたいと願う。
著者紹介 兵庫県立大学大学院工学研究科応用化学専攻(教授)