【随縁随意】思えば遠くへ来たもんだ-松井 和彦
生物工学会誌 第94巻 第9号
松井 和彦
「思えば遠くへ来たもんだ」とは、1978年(昭和53年)に発売された武田鉄矢氏が率いる海援隊の楽曲のタイトルである。1980年には同名の映画の公開に合わせて再び発売され、1981年にはテレビドラマ化され、主題曲にもなったので、ノスタルジックなメロディーをご記憶の方も多いのではないかと思う。この曲の中に、「思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら」という印象的なフレーズがある。
1981年に味の素(株)に入社以来、35年余の会社生活の中で、何度かこのフレーズが頭の中に浮かんできたことがあった。担当する研究開発テーマが大きく変わり、研究開発の方向性を見いだすべく、七転八倒した後で、また、新たな職場環境に慣れ、新たな役割期待にも応える自信がある程度芽生えてきたころに、あるいは、海外でジョイントベンチャー設立を命じられ、赴任地の生活環境にも慣れ、設立したベンチャー企業の基盤がようやくできあがったころに、「思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら」というこのフレーズが頭を過ったものである。これから自分はどこへ向かうのか?と思い悩むのである。今、自分のキャリアを振り返ると、こういう時に新たな道に進むきっかけを与えてくれた人が自分の周囲にいたように思う。進む道の選択には不思議と縁というものがあったような気がする。思いのまま、「随意」とはいかないが、「随縁」、つまり縁に従ってきたのではないかと思う。
「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがある。目標に向かって努力をするが、その結果は天にまかせるという意味である。このことわざの順序を逆に変えた「天命を待って人事を尽くす」という山村雄一元大阪大学総長の言葉の方が企業に勤める私には好ましく思える。第6回生物工学産学技術研究会で講師を務めていただいた江崎グリコ(株)の栗木隆氏も同じことを言っておられた。天から与えられた機会をとらえて、それを十二分に活かすように能動的に取り組むということのようだ。企業では研究開発の現場に新人として配属された方が、ずっと研究開発の最前線で活躍し、会社生活を終えるというケースは多くないと思う。ある日突然研究開発以外の部署への異動を命じられ、新たな職場で、これまでのキャリアにない役割期待に応えることが求められることがある。周囲が対象者のキャリアパスを検討したうえでの異動であることは想像に難くないが、自らが期待した通りであるとは限らない。しかしながら天命と捉えることで新たな業務に前向きに取り組めるように思える。
人事を尽くして天命を待つと、どうしても天命を自分の都合の良いように期待してしまう。期待通りにいかないと、自らに原因があったとしても、誰かを恨むことになるかもしれない。大学を卒業後、研究開発の現場で会社生活をスタートし、35年余の間にさまざまな職場や業務を経験させていただいた。思えば遠くへ来たもんだと実感するが、この先どこまでゆくのやらとも思う。新たな天命を待って人事を尽くしたい。
日本生物工学会は生物を研究対象として、実学、知・技の実用化を志す者が集う、切磋琢磨の場であると思う。ここ数年、徐々に年次大会への参加者が増え、また産学官の交流の場が増えてきたように感じる。生物工学産学技術研究会の懇親会で、ある学生の方から、就職活動がうまくいかず落ち込んでいた時に生物工学産学技術研究会に参加して産業界の方と意見交換し、もう一度就職活動に取り組もうという前向きな気持ちになり、幸いにしてその後就職することができたということを聞いた。会員の方々にとって、年次大会や本学会主催のさまざまな交流の場は、情報収集や研究ネットワーク拡大の場としてだけでなく、自らのキャリアを振り返り、新たな道に進むきっかけの場にもなっているのだと思った。本学会を介してさまざまなステークホルダー間の交流が活発になることを期待している。
著者紹介 味の素株式会社(上席理事)