【随縁随意】微生物学の発展と広がりの中で思うこと-松下 一信
生物工学会誌 第93巻 第7号
松下 一信
微生物学の授業を担当される方は、はじめに微生物学の成り立ちの話をされることと思います。私自身、Leeuwenhoekに始まり、Pasteurの発酵学、Kochの細菌学、そしてBeijerinckとWinogradskyの土壌(環境)微生物学が生まれ、その後の発展を通して生化学・分子生物学が生まれ、現代の生命科学(微生物学)へと発展したと説明しています。これらの微生物学は、現在それぞれ産業微生物学(応用微生物学)、医学微生物学(病原微生物学)、農業微生物学(土壌微生物学・環境微生物学)へと展開しています。一方、欧米では、これら微生物学全体を統合した微生物学会が生まれ、ASM(1935年発足;前身Society of AmericanBacteriologists、1899年)、SGM(1945年;前身Society of Agricultural Bacteriologists、1931年)、FEMS(1974年;前身1968年)などとして活動しています。しかし、日本を見てみると、同様に古い歴史をもちながら、発酵微生物は生物工学会(1992年;前身1923年)や農芸化学会(1924年)、病原微生物は植物病理学会(1918年)や細菌学会(1927年)、環境微生物は土壌微生物学会(1998年;前身1954年)や微生物生態学会(1985年)などに細かく分かれ、それぞれの学会がほぼ独立して活動を進めており、全体を統括するような微生物学会は生まれていません。
私自身は、酢酸菌を中心に発酵微生物、つまり応用微生物学の研究を進めてきました。しかし、最近の研究の中で、「発酵微生物とは」と考えてしまうことがあります。酢酸菌の分離源に遡れば、植物上で他の多くの微生物と競合しており、酢酸発酵にしろ、カカオ発酵にしろ、自然発酵系の中にあっては酵母、乳酸菌、その他多くの微生物とともにその発酵系を形成しています。最近では、昆虫の腸内にも数多くの酢酸菌が発見され、しかも昆虫の生育に重要な働きをしていることもわかってきました。動物の体内に生育し病原性を示すものまで見つかっています。それ故、酢酸菌に限らず大腸菌と言えども、人工的な発酵槽の中での生理学だけでは大腸菌を理解することはできず、自然環境の中での他の微生物との競合、植物・動物との相互作用なども含めて、その進化や生理学を見て行くことが必要となっています。微生物学全般に目を向ければ、ゲノム解析技術の急速な発展と相まって、腸内フローラの研究、根圏微生物群の研究、自然発酵・環境浄化(バイオガス生成)系のメタゲノム解析など、病原微生物・環境微生物・発酵微生物の垣根はどんどんなくなってきているように思えます。
自身の話で恐縮ですが、私は現在、山口大学の中高温微生物研究センターに所属しています。このセンターは、東南アジアなどの研究者との共同で見つかってきた耐熱性微生物を中心に研究展開するために組織されたものですが、メンバーは本学の理系全学部(農・獣医・工・理・医)から参加しています。発酵・環境・病原微生物それぞれを研究対象とするグループが交流しながら研究を進めているため、垣根を越えた共同研究も生まれてきています。
最近、生命科学研究の中で微生物学の位置付けが相対的に低下してきているように感じているのは私だけでしょうか。国内の学会は上述したように多岐に分かれていますが、昨今の微生物学研究はさまざまな分野(発酵・環境・病原・農学・工学・ゲノムなど)が相互に密接に関係して展開するようになってきていると思います。いくつかの微生物関係の学会(研究会)では共催で学会を開催することも増えているようですが、今後、国内の微生物関連学会がもっと交流を深め、時には一つの課題で連携を進めるなど横の繋がりを深めて、生命科学における「微生物学」の役割を高めるべく努力する時期にきているのではないかと思っています。
著者紹介 山口大学農学部教授(特命)・山口大学中高温微生物研究センター長