生物工学会誌 第92巻 第10号
越智 幸三

「趣味の園芸」という言葉があるように、何事も趣味でできるなら、これ程楽しいことはない。つくばの国立研究所を停年退職し、目下地方の私立大学で教鞭をとっているためか、幸いにも「趣味の研究」に思いを巡らせることが多い。研究がこれ程楽しいものであることに気づいたのは、実に齢60を過ぎてからということになる。遅すぎた目覚めというべきか。

ヒトは26,000余りの遺伝子を保有しているが、その多くは一生使われることなく(つまり発現することなく)生を終えると考えられている。このような通常発現しない遺伝子を「休眠遺伝子」と呼ぶが、ヒトでは“サーチュイン遺伝子”がよく知られている。数年前にNHKのサイエンスZEROで2度も放映されたので、記憶されている方も多いであろう。このサーチュイン遺伝子(SIRT1)は1999年に酵母で発見され、酵母の寿命延長効果を示すのみならず、その後の研究で線虫、ショウジョウバエ、ヒトにも存在することが判ってきた。この遺伝子を覚醒できればヒトの寿命は20才伸びると言われている。長寿遺伝子と呼ばれるゆえんである。ただし、最新の追試実験ではサーチュイン遺伝子と寿命延長の間には因果関係がないとされている。

サーチュイン遺伝子の真偽はともかく、微生物にも多数の休眠遺伝子が予想をはるかに越えて数多く存在することが判ってきた。これは昨今のゲノムプロジェクトの進歩によるもので、放線菌、カビ、ミクソバクテリアには一株あたり通常20~40の二次代謝産物合成遺伝子クラスターが存在することが明らかにされている。ところがいずれの菌株でも二次代謝産物としてせいぜい3~5物質しか発見されていない。明らかにこの事実は、約8割を占める大半の二次代謝遺伝子は通常培養条件下では発現しておらず、それ故これまで発見されることがなかったことを示している。換言すれば、膨大な二次代謝産物の探索源が手つかずのまま現在まで残されていたことになる。この宝の山をいかにして発掘するかは応用微生物学における焦眉の課題の一つであり、私どもの「リボゾーム工学」「転写工学」「希土類元素の利用」も含め、「遺伝子強制発現」「エリシターの利用」などさまざまな方向から強力なアプローチが始まっている。

50年前は生命原理の探究において微生物が主役であったが、現在もそうであるとは言い難い。一方、天然物を探索源とする創薬は、新物質の発見に至る確率が低下したため、困難の度を増している。すなわち、将来における微生物学の繁栄のためには、微生物がいかに“役立つ”ものであるかを示し続けることが必要であり、「休眠遺伝子覚醒技術」がこれに多少とも貢献できることを願っている。

ところで、なぜそんなにも多くの二次代謝遺伝子が休眠状態のまま眠っているのであろうか?ごく特殊な環境下では目覚めて、自分自身または周囲の菌に役立っているのだろうか?二次代謝産物の代表は抗生物質であるが、抗生物質は周囲の菌を殺して、栄養源を独り占めすることにその生理的意義があるとされてきた。しかし、土壌など自然界で殺菌力を示すほどの多量の抗生物質が産生されているとは到底思えない。実験室でさえ高レベルの生産は難しいのである。もし生理的意義があるとすれば、それは極微量で作用可能なものであるはずだ。

これに関して私どもは最近、最少致死濃度(MIC)の1/100~1/1000という極微量の抗生物質添加により、放線菌の休眠遺伝子が強力に目覚めるという非常に興味深い事実を見いだしている。これは、抗生物質の本来の姿は周りの菌を殺すことではなく、むしろ抗生物質という“微生物のことば”を使って互いにCell-to-Cellコミュニケーションを図っていると考えるべきであろう。とすると、目覚めた休眠遺伝子産物は逆に相手方菌になんらかの効果(当然好ましい効果であろう)を及ぼしているのだろうか?もし大半の休眠遺伝子が目覚めるとすれば、そのように多様な二次代謝産物を一度に生産する意義は何なのだろうか?それぞれの二次代謝産物は異なったことばを意味するのだろうか?ここまでくると、趣味を通り越して「道楽の研究」であろう。それだけに楽しさもひとしおなのである。最後に、抗生物質が微生物のことばであるならば、なぜそのリセプターが“リボゾーム”でなければならないのかという命題を提起しておきたい。


著者紹介 広島工業大学生命学部(教授)

 

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