生物工学会誌 第92巻 第8号
恒川 博

筆者は大阪大学醗酵工学科修士課程を修了後、酒類メーカーの医薬・化学品事業部門に入社し、2013年6月に定年退職するまで抗生物質などの医薬品原体の発酵生産に従事した者です。この間、先輩・同僚・後輩のご支援のお陰で経営にも参画する機会を頂戴し、企業研究者として恵まれた会社人生を全うさせていただきました。在職当時の経験を踏まえて、企業で活躍されている、あるいはこれから活躍したいと考えておられる若い生物工学研究者の皆様に一言述べさせていただきます。

企業研究者にとってもっとも大きな喜びとは、会社という組織を通して自身の研究成果や技術を活かして社会に役立つ新しい商品を生み出すことであると筆者は考えています。新商品の開発は一人の優秀なスペシャリストの能力だけで達成されることはありません。発酵生産という技術面だけを取り上げても種母調製から本発酵、回収精製、品質分析、設備機器類の維持管理、さらには原料調達から出荷輸送まで含めた品質保証などの単位プロセスから成っており、それぞれのプロセスのスペシャリストを統合して技術課題を解決する人材が必要です。また、新商品開発には法的規制などの多くの問題点が発生しますが、組織内外にまたがるこれらの諸問題を調整し、それらを技術課題に落とし込める人材も不可欠です。要は、専門的な知識・技術を持ち、かつ専門外の人との円滑なコミュニケーションを図れるゼネラリストの存在が新商品開発には必須と言えます。

それではゼネラリストになるにはどうすればよいのでしょうか。筆者自身も若い時は目前の研究課題に没頭し、実験に明けくれた毎日を過ごしましたし、特別なゼネラリスト養成教育を受けた記憶もありません。ただ、歳を経てゼネラリストとしての職務を果たすにあたり、次の点を意識するようになりました。第一は、自分が万能ではなくわからないことが多いという自覚です。この自覚があれば不得手部分を素直に他の人に任せることができますし、場合によっては社外の先生方に教えを請うことも可能となります。ただし、信頼して任せたとしても最後の責任を自分で取る覚悟は必要です。第二は、自分は人とは変わっていることの自覚です。人は得てして自分以外の誰それは変わっているということを簡単に意識できますが、自分自身が人と変わっているとは意識しないものです。特に同じ組織に長くいるとお互いの慣れのために皆が同化したように思いがちで、言葉にしなくても自分の考えは伝わっていると勘違いしてしまいます。自分は変わっているという意識を持っていれば、自らの考えを理解してもらうためには常に徹底したコミュニケーションが必要だということも理解できるはずです。そして第三は、プロジェクトを成功させるのは自分以外の誰でもないという強い主人公意識です。筆者の経験では、組織の上下関係とは無関係に主人公意識を明確に持った人物がプロジェクト内にいた場合はそのプロジェクトが成功したように思います。もちろん、その人が主人公意識を振りかざすのではなく、円滑なコミュニケーションを通して諸課題を解決するゼネラリストに徹した場合ではありますが。

以上、取り留めもなく述べましたが、大学という学問の場を離れ企業研究者の道を選ばれた皆様が、専門性に裏づけられたゼネラリストとして大きく羽ばたかれることを期待してやみません。


著者紹介 日本マイクロバイオファーマ株式会社(元取締役副社長)

 

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