【随縁随意】歴史は繰り返す?-山根 恒夫
生物工学会誌 第92巻 第6号
山根 恒夫
バイオマス(澱粉や砂糖などの作物系、草本系および木質系リグノセルロース、藻類)からの燃料生産関連の研究が盛んです。正確な数字ではありませんが、本学会年会での口頭発表でも、1/4から1/3位の発表件数はこの分野の研究のようです。そこで、エタノールなどのバイオ燃料の研究開発について、少し長い目で日本の歴史を振り返ってみたいと思います。
まず、今から70年前(1945年、昭和20年)の太平洋戦争末期の出来事です。マリアナ諸島陥落により、東南アジアからの石油運搬も難しくなると、軍艦や戦闘機の燃料をどのように調達するかが大問題となりました。戦争末期、海軍省軍需部では、本土内で得られる原料から燃料を生産しようとする「新燃料戦備」計画が査定されました。計画では、最初は、松の切り株から取れる「松根油」、次はブタノール発酵をエタノール発酵に転換、そして最終的にもっとも期待したのは、全国各地に多数存在する日本酒蔵元の燃料用エタノール工場への転換でした。国内で得られる原料としてはサツマイモに絞られました。準備は順調に推移し、1945年10月から本格生産に入る計画でしたが、戦争は8月に終わり、幸か不幸か、この計画は実行されませんでした。この太平洋戦争末期が近代日本における最初のエネルギー危機と言えましょう。
戦後、経済が復興し、1955年頃から日本は高度経済成長期に入り、その後およそ18年間発展を続けました。
そして、1973年から始まった石油危機(石油ショック)に巻き込まれました。それまで1~2ドル/バレルであった原油価格が最大で40ドル付近(1980年)まで急上昇したのですから、大変でした。1973年から1985年位までは、2回目のエネルギー危機と言えましょう。このころは、日本でも蔗糖やブドウ糖などの糖質原料からのアルコール発酵の研究が盛んに行われ、学会(当時は日本醗酵工学会)の年会でもアルコール発酵の発表が沢山あったことを覚えています。特に、1979年とその翌年に発表された田辺製薬(当時)の
固定化増殖酵母による連続アルコール発酵技術は大きな反響を呼びました。筆者らもこの時代、固定化酵母用バイオリアクターや凝集性酵母によるアルコール発酵について、3報発表しました。日本は、相当インフレとなりましたが、エネルギー源の多様化、省エネルギー技術、産業構造の転換などでこのエネルギー危機を乗り切りました。原油価格も1986年には10ドル/バレル位まで下がっています。それとともに、アルコール発酵の研究もしぼんでしまいました。
さて、時代は進み、21世紀に入ってから現代に至る潮流です。原油価格は2007年に30ドル/バレルから再び急上昇し、2008年5月には146ドル/バレルまで上昇しましたが、これはサブプライムローン問題と深く関係して、投機的な思惑で一時的に急騰したためであるとされ、数年で沈静化しました。しかし、それでも、現在100ドル前後で高止まりしています。日本だけに限れば、現在は円安になって、リーマンショック時と同じぐらいです。2005年以降、アメリカではブッシュ政権の政策もあって、トウモロコシからのバイオエタノール生産のブームが加速しましたが、「食糧とエネルギーとの競合」が問題となりました。この頃から、再びバイオマスからのエタノール生産の研究が盛んになってきたように思います。真っ只中に生きているとかえって実感できにくいですが、日本は、現在第3のエネルギー危機にあると思います。
以上のことから、「エネルギー危機時にはエタノール発酵関連の研究が盛んになる」と言えましょう。
しかし、現在の日本のエネルギー危機とバイオ燃料を取り巻く環境は複雑です。1)電力事情(原発の停止)、2)化石燃料の使用による地球温暖化の進行、3)バイオ燃料はカーボンニュートラル、4)再生可能エネルギー(太陽光、風力、地熱、バイオマス発電etc)の推進、5)LCAの進歩、6)北米のオイルサンドやシェールガス&シェールオイルの開発、7)非可食性バイオマスの糖化技術は進歩しましたがそれでも日本では依然としてコスト面で難点あり、8)遺伝子工学、代謝工学、合成生物学の進歩は著しいが、大規模な工業的実施にはカルタヘナ法の制約あり、9)多量のエネルギー作物(エリアンサスやネピアグラスなど)をどこで栽培するか、など正負の要因が複雑に絡まって、容易に解決策が見いだせない状態となっています。
日本について時代を超えて変わらない真実は、「石油や天然ガスをほぼ100%輸入しているエネルギー資源小国であり、エネルギー問題はアキレス腱である(さらに言いますと、ウラン鉱石や鉄鉱石を始めほとんど総ての鉱物資源も同様です。)」ことと、「台風(とそれに伴う高潮と高波)や地震(とそれの伴う津波)に、毎年あるいは間欠的に必ず襲われる天災大国である」、という2点です。叡智を集めて、多少不安定でも安心安全で持続可能かつ十分なエネルギーを確保したいものです。
著者紹介 名古屋大学名誉教授、中部大学元教授