【随縁随意】アンチエイジングと発酵β-グルカン – 岡部 満康
生物工学会誌 第92巻 第4号
岡部 満康
アンチエイジング治療とは、より美しく老いたいという願いもこめ、人間の本来の姿、本来の寿命、至適な状態に心身ともに持っていく事を目的とする医療である。秦の始皇帝はアンチエイジングの妙薬を探し求めたが結局その夢は叶わなかった。しかし後漢時代(25–220)にはいると『神農本草経』に不老不死の霊薬として霊芝(マンネンタケGanoderma lucidum)を珍重していた事、また我が国の卑弥呼(邪馬台国)から献上されていた事などが記されている。
美しく老いることへの障害物はガン、高脂血症、糖尿病、アルツハイマー病などがあるが、目下のところ最大の難敵はガンで、我々高齢者のアイドルであった島倉千代子さんの例にもあるように、最近有名人のガンによる死亡がマスコミを賑わしている。我が国には元々シイタケ、カワラタケ、ヒメマツタケなどのキノコをよく食べる人はガンになりにくいという民間伝承があったので医学、薬学および農学分野でキノコは絶好の研究テーマになり、遂にシイタケから免疫機能を有する多糖が分離精製され、この有効成分がβ-(1,3)(1,6)-グルカン(以下β-グルカンと略称)であることが明らかとなった。これは1985年抗悪性腫瘍剤(レンチナン)として認可され、現在もさらに改良されて使用されている。なお、β- グルカンには高脂血症や糖尿病などに対しても何らかの予防・治療効果があると報告されているが、基礎、臨床両面から研究が鋭意進められている。β- グルカンはその後キノコ以外にパン酵母細胞壁などに含まれることが明らかとなったが、昨年そのパン酵母細胞壁β-グルカンの免疫機能に関わる分子生物学的研究がカリフォルニア大学などの研究グループによってNatureに発表された。
最近バイオの最先端技術を駆使して分子標的治療薬(モノクロナール抗体)なる抗ガン剤が開発されたが、副作用も強く、なるべく投与量を下げる必要性が出てきた。補体と結合したガン細胞と好中球や単球などのエフェクター細胞との結合をβ-グルカンがさらに強化する事により、薬効(補体依存性細胞傷害など)を高め、結果的に副作用を抑える事が可能な事がルイズビル大学などの研究結果から明らかとなり、複数の分子標的薬とβ-グルカンとの併用治療法が現在米国でそれぞれ臨床実験に入っている。
アメリカではβ-グルカンがアンチエイジング治療のエースとして食品添加物やサプリ、さらには保湿性が高く、しかも免疫機能を有する事から化粧品原料としても大量に製造販売され始めた。従来β-グルカンの供給源はキノコやパン酵母細胞壁に限られていたが、これらを前記目的に利用するためには固形物からの分離精製が必要となり、その過程でアレルギー物質などが混入する可能性が高く、またキノコ栽培が大量生産になじまないなどの背景もあり10年ほど前から黒酵母菌(Aureobasidium pullulans)による発酵生産法の開発が始まった。同菌による醗酵生産はさまざまな理由からスケールアップが非常に困難であったが、いわゆる当学会18番(オハコ)の発酵工学的手法により、抗生物質やアミノ酸同様に商業用大型発酵タンクでの培養が可能となり、キノコやパン酵母細胞壁由来と機能的にも品質的にも勝るとも劣らない発酵β-グルカンの生産が可能となった。しかし、その培養は大変奥が深いものであり、今後も絶え間ない技術革新が必要である。そのためにも当学会の果たす役目は大きい。今後、よりよい培養方法が確立され、β-グルカンの用途の多様化と拡大が進み、いつまでもより美しく、より健康でありたいという始皇帝以来の人類の究極の夢の実現に一歩でも近づくことを希望してやまない。
著者紹介 静岡大学名誉教授・日本生物工学会功労会員 工学博士・技術士(農芸化学)