生物工学会 第92巻 第3号
小埜 和久

自然科学を探求することで、自己の考え・思いを具現化する「学術・研究」生活を卒業し、次世代を担う人材を育てる「教育」生活に身を転じた。生活スタイルの劇的変化に伴うカルチャーショックによる戸惑を感じつつも、今までの生活では得られなかった多くのことを学び楽しんでいる今日この頃である。これを機に、アメリカで研究する機会に恵まれた経験を基に、当時感じた日米の教育格差の一端を回想しつつ、人材育成としての「教育」のあり方についての思いを述べてみたい。

渡米後、はじめに驚いたことは、博士課程(博士課程後期)の学生が高度な講義を受けていたことである。しかも、講義資料には、当時の代表的な生化学の教科書がすべて引用され、教科書出版後の研究の進捗にも対応して、速報版Current Contentsに収録された論文の研究内容も瞬く間に収録され、常に最新の知識が提供されて学生に刺激を与えていた。ここに博士研究員の段階で大きく伸びる要因の一つがあり、まさに“抗体産生機構”を連想させて人材育成としての基盤となる「教育」の重要性を感じた。

次に、“独創的な研究”を高く評価する土壌があることである。ヴェクトルは“いかに独創的な研究ができるか”が研究者に求められていたのである。生化学分野の発展に貢献した研究業績から、日本人では岡崎令治、八木國夫、早石修、利根川進博士がよく知られていたが、日本ではどうだろうか?アメリカの糖質関連のある研究者の一例であるが、当時29歳にもかかわらず論文数98報もあり、将来この分野の指導的な役割を担うだろうと日本では目されていたが、助教授から准教授への昇任は認められなかった。理由は明快で、1)彼の全論文に先行論文があり、それぞれに類似しているために研究のoriginalityが低い、2)彼が雇用した博士研究員が独立した研究者として育っていない、というものであった。日本ではどうだろうか?と衝撃を受けた。これも、個性(=独創性)を大切にして、これを伸ばす「教育」ができるかどうかが、人材育成を担う研究者・教育者としての評価の底流にあるように思えた。

一方で、アメリカに滞在していた間に、日本でも独創性の高いものを見抜く目や独創性を育む教育環境を創成する努力があることを知った。Current Contentsの裏表紙に、当時、もっとも引用された文献の著者によるコメント欄があり、東北薬科大学の箱守仙一郎先生が開発された糖水酸基の完全メチル化法についての投稿秘話が書かれていた。そこには、J. Biochem.にFull paperとして投稿してrejectされたが、当時、Editorをされていた山川民夫先生から“独創的な研究”と内容で評価され、Noteで出すことを勧められたと書かれていた。山川先生が評価されなければ、一世を風靡した箱守法は陽の目を見なかったかもしれない。また、早石修先生がMiami Winter Symposiaでの招待講演後、懇親会で「自分の弟子、あるいは孫弟子の段階で、ノーベル賞が受賞できる研究者を育てたい」と述べられておられた。早石先生もまた、今でいうiPS細胞研究所のような独創的な研究を推進する機関を想定され、そこでノーベル賞級の研究者を多く輩出したいと考えられたのだろう。

中教審答申で「学習」から「学修」へと大学教育の質的転換が強調されている。現実に戻って、“学生の主体的学びを促して将来性豊かな人材を育てたい”と考えていた時に、「学生の主体的学びを促す学修ポートフォリオによる授業改善」という講演を聞く機会に恵まれた。教員のための「ティーチング・ポートフォリオ」と学生のための「ラーニング・ポートフォリオ」を上手に組み合わせた「学修ポートフォリオ」が授業改善に効果的であるとのことであった。次々と多用される「ポートフォリオ!?」とは何ぞや?と感じる固い頭に悩まされながら、素晴らしい可能性を秘めた、次世代を担う個性(=独創性)豊かな人材が大学教育の質の向上によって育つことを夢見つつ、日々、試行錯誤を繰り返している。


著者紹介 広島工業大学生命学部食品生命科学科(教授)

 

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