【随縁随意】「科学」と「技術」 - 高木 昌宏
生物工学会誌 第91巻 第8号
高木 昌宏
生物工学会が関連する分野で昨年一番の話題と言えば、やはり山中伸弥先生のノーベル生理学・医学賞の受賞であろう。
賞の決定に関する「ある新聞」の報道は、以下の通りであった。
「スウェーデンのカロリンスカ研究所はこのほど、2012年のノーベル生理学・医学賞を、再生医療の実現につながるiPS細胞を初めて作製した京都大学教授の山中伸弥iPS細胞研究所長と、ジョン・ガードン英ケンブリッジ大学名誉教授に贈ることを発表しました」
一般の方々はもとより、本誌のおもな読者である生物工学会会員の皆さんですら、この報道内容に対して多くの疑問を持たないと思う。しかし正式な授賞理由は、この報道とは少し異なっている。授賞理由は、“for the discovery that mature cells can be reprogrammed to become pluripotent”(分化後の成熟細胞であっても多分化能細胞へ再プログラムすることができることの発見)である。「再生医療の実現につながるiPS細胞」は、応用面での可能性について言及しているに過ぎず、正式な授賞理由と若干のかけ離れがある。しかし新聞報道の読者である一般の人に、「成熟細胞」や「多分化能」といった馴染みの薄い生物学の専門用語を用いたところで、理解を得られないであろう。「それ何に役立つのですか?」という質問が飛んでくるに違いない。「再生医療の実現につながるiPS細胞」は、確かに分かりやすい説明である。
天然資源の少ない日本は、「科学技術創造立国」を目指さなくてはならない。このことに疑問を挟む余地はない。ところでその「科学技術」とは、いったい何なのだろうか? 周囲の何人かに「科学技術とは、技術なのか?」と尋ねてみると、多くの場合「技術ですよ」と返ってくる。英語のtechnologyの日本語訳を科学技術としている辞書もある。一方、私の所属する大学は「先端科学技術大学院大学」であるが、その「科学技術」の英語訳は“science and technology”である。これは直訳すると、「科学と技術」になる。「科学技術」に対するイメージが、日本語と英語で微妙に異なっている。
そのつもりで調べてみると、「科学・技術」と中黒を入れるべきだとの議論もあり、「中黒問題」と言うらしい。しかし、科学と技術は不可分な側面もあるので中黒で区切るのにも、私には違和感がある。学術会議会長を務められた金澤一郎先生は、中黒肯定派である。「科学技術」と書くと、技術が主役で、科学が修飾語になることを懸念する有識者の一人である。サイエンスライターの元村有紀子氏は、マスコミを中心とする科学報道の視点が「役に立つ」に傾きがちで、それが国民や政策決定者の意識に影響を与えている可能性があるとも指摘している。昨年のノーベル賞報道にも通じるコメントである。「役に立たない」を理由に、基礎科学が切り捨てられては、科学技術創造立国など実現できる訳がない。
こんな議論を、かつてしたことを思い出した。進路に悩んでいた高校生のころに、工学と理学の違いについて青臭い議論を仲間と交わしたことである。その当時の理学部進学者は、ほとんどみな博士後期課程へ進学した。しかし聞くところによると最近では、理学部でも博士後期課程進学者が減り、就職希望者が多数なのだそうである。「科学が修飾(就職)?」とは、ダジャレのようだが、これも中黒問題の影響であろうか?
簡単には結論が出そうにない。科学と技術、そのどちらもが大切で、その両者は微妙に対立している側面もありつつも、またオーバーラップもしている。そんな背景が、この問題を複雑にしている。
「科学か、技術か」の二元論ではなく、それぞれの科学者、技術者、そして研究テーマに、比率こそ異なっていても「科学」と「技術」の両方が混在しているはずである。まさに、Science and Technologyなのである。かつては学生達に、「何に役立つか考えましょう」と指導してきた。しかしこれからは、「どこがサイエンスで、どこがテクノロジーなのか考えましょう」と指導するつもりである。「何かに役立てたい気持ち」、そして「役立たなくても分かりたい気持ち」、そのどちらも大切に育めないだろうか? それはたとえば、就職活動が、うまくいっても、うまくいかなくても、充実していたと満足できる学生生活をおくって欲しいと思う気持ちに近い。
「成熟」と「多分化能」の両立は困難である。しかし、そこに価値を見いだしたい。
著者紹介
北陸先端科学技術大学院大学マテリアルサイエンス研究科(教授)
日本生物工学会理事・英文誌(JBB)編集委員長