【随縁随意】時代の目 - 奥田 徹
生物工学会誌 第90巻 第12号
奥田 徹
ドイツ中央に位置するアイゼナハは、中世の古城、ユネスコ世界文化遺産のワルトブルク城があるところとして名高い。この城は11世紀に建設されたとされ、13世紀には、ヴォルフラム・エッシェンバッハなど吟遊詩人たちが歌合戦で活躍するが、伝説的な聖女エリザベートが登場するのもこの頃だ。この歌合戦を題材にしたオペラがワーグナーの『タンホイザーとワルトブルクの歌合戦』である。ワルトブルク城には壮麗な祝宴の間(歌合戦の間)があり、現在コンサートホールとしても使われている。実は19世紀初頭、ドイツ統一の機運が高まり、荒れ果てた中世の城が、1838年に再建され、祝宴の間には19世紀の目で見た理想的な中世が再現された。1867年、バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、ワーグナーの助言に従ってこの部屋を見学し、そっくり真似た歌合戦の間をノイシュヴァンシュタイン城内に作った。ワーグナーは、19世紀の視点で、『タンホイザー』を作曲したわけである。
さて、分子系統学のおかげで生物の系統進化の理解は革命的に進歩し、生物の系統樹は大きく変わった。1968年のWhittakerの5界説では、バクテリアなどを含むモネラ界の上に原生動物界があり、そこから動物界、植物界、菌界が「進化」したとなっていたが、現在では、Woeseらによるバクテリア、アーキア、真核生物の3ドメイン説が定説になり、かつては「下等生物」と呼ばれたバクテリアや原生動物も、ターミナル・クレード(terminal clade)に位置する生物で動物・植物・菌類と同等と評価されている。つまり現存する生物はいずれも、現時点での進化の最終産物であり、動物や植物が現在のバクテリアや原生動物から進化したわけではない。
系統樹の過去の分岐点の生物の、一部の機能は推定できても、化石に形態の一面が残ることはあるだろうが、過去の生物の姿そのものを見ることはできない。現存生物はあくまで現在の姿である。さらに、分子系統学によって、系統樹のクレードの隙間が大きいところと密なところがあるのも判明した。事実、隙間を埋める大きな新分類群も次々と発見されつつあるが、大きな隙間には、培養できない微生物も存在するかもしれないし、絶滅した分類群が該当することもあるだろう。生物の理解には、現在という一断面だけではなく、時間的評価が必要である。
三中信宏は「進化生物学がたどってきた歴史を振り返るとき、私たちはある1つの学問領域を支えてきた思想的基盤が、もっと現実的な人脈ネットワークや組織体制、さらには時代背景や社会・文化までせおっていることを痛感する。(中略)生物の系統樹と同様に、学問もまた伸び続ける一本の『樹』であるとみなすならば、ある時空的断面で切ったときの『切り口』はそのつど違って見えるはずだ」と述べている。生物学教育においても、最新の技術的側面だけではなく、そこに至った歴史的過程を理解しなければ、付け焼き刃にしかならず、生物の真の理解には至らない。
生物の理解とは、生物そのものの姿・形+機能+遺伝子情報と置き換えてもよい。昨今わが国の生物学教育の分野では、「もはやメンデルから語らなくても、遺伝はDNAで説明がつく」と極論され、歴史的背景なしで、技術面のみが重視されようとしている。また海外では生物多様性条約ならびに生物資源がますます脚光を浴びているが、2010年の名古屋における締約国会議を境に、わが国におけるこの問題は下火になっている。
さらに、昨年の植物命名規約の大幅改訂に関連して、オランダ、アメリカ、そして中国では微生物データベースの重要性が高まっているにもかかわらず、わが国は官民問わず興味がなさそうである。わが国の強み、他国には真似のできない緻密なバイオ産業の協業システムを新しい形で構築するには、予算を湯水のように使うようなアメリカ追従ではなく、生物学の歴史的断面と生物の総合的理解を目指した細やかな教育と研究が必要である。
昨年来のバイロイト音楽祭の『タンホイザー』は、ワーグナーが文明批判、科学技術批判を行ったことがあるということを受けて、巡礼は炭鉱(?)労働者、舞台は大きなバイオガス・タンクの並ぶ化学プラントという演出だ。音楽の美しさ・壮麗さとは打って変わって、歌詞と歌手の演技が正反対であるという矛盾や奇妙さはあったが、主張の妥当性はともかく、産業革命による大気汚染、新しい鉄道交通網による自然破壊など19世紀の目を現代の目に投影させることには成功していた。
著者紹介 玉川大学学術研究所菌学応用研究センター(教授・主任)