生物工学会誌 第90巻 第10号
中西 透

昨秋、ある文化系の英才に「バイオで無から有ができるか」と言われた。この問いには、喧伝されているバイオへの期待と、(新産業が出てこないという)少々の失望が含まれていた。「バイオ産業勃興のタイムラグである。バイオ医薬品の創出、農業用植物の育種では成果が出ている」(JBA・大石会長就任挨拶)。ほぼ同感する。

今から50年前、戦中から続いていたアルコールとアセトン・ブタノールの発酵生産、後者は、戦後17年で石油化学製造法に切り替わった。しかし、アルコール、パン酵母、有機酸、抗生物質、抗がん物質、生理活性物質、酵素類、続いて、戦後、日本で発明されたアミノ酸発酵、呈味核酸発酵が、次々と工場で実施され、発酵タンクと関連設備は、数、容量共に拡大を続けていた。正に盛況であり、我々は、微生物による発酵工業に大きな可能性を感じていた。現在は、バルク物質の生産の多くは海外で行われている。わが国では、医薬品、機能性食品など、量的には少なくて比較的に高価なものの生物発酵生産が実施されている。

筆者は、上の質問に「できる」と答えた。相当するのは(価値のかなり低いものから価値のあるものをつくる)、光合成・炭酸固定、食品・有機廃棄物処理、バイオマスなどである。炭酸固定では、五十嵐・石井先生らの報告があり、今後の進展が待たれる(五十嵐泰夫:微生物炭酸固定の多様性とその進化生化学的理解(科学研究費補助金研究成果報告書2010年5月28日現在))。

光合成については当会に研究部会があり、本誌2011年3月号には特集があった。これによると光合成生物のいろいろな分野での応用が述べられている。現今、もっとも勢いがあるのは、「微細藻類によるバイオ燃料の生産研究」であり、今では多くの企業がパイロットプラントで研究を進めている。友人の話によると、プラントでは、対二酸化炭素収率や光の効率向上を含めて、エンジニアリングが非常に重要であるとのこと。微生物学者と化学工学者との協力によって、はじめて生産研究が進展すると共感する。世界各国でも盛んに研究が行われているが、米国が先行している。現在では日本も光合成微細藻類の能力のある面では、米国を凌駕しているようである。早く実用化されることを望む。なお日本では、二酸化炭素からだけではなく、有機廃棄物から微細藻類が炭化水素を効率良くつくる研究もある。

光合成微生物からは、DHA、アスタキサンチン、5-アミノレブリン酸など、生理的に有用な物質が実用生産されている。燃料を収穫した後の微細藻類菌体は、飼料や食品としての利用が当然考えられる。しかし「藻類」からは、まだまだ実効のある機能性食品、抗がん物質、医薬品などが見いだされる可能性があり、夢がある。

食品廃棄物、有機廃棄物の高度利用、そして特にバイオマスについては、本会の先生方は活発に研究しておられる。まだまだ研究することはあるにしても、我が国の実情に応じて、どのようにして実用に移行するかが課題であろう。昨年の本学会大会発表の26題のトピックスは、いずれもすばらしかった。このような研究成果同士の融合からより大きな発明が生まれてくるかもしれない。

これまで、バイオ産業での大発明の多くは、その端緒は少数精鋭によってなされた。企業は、これをスケールアップして工場生産するために多くの人を投じた。今後も大きな発明で、個人の力量、感性、そして努力は、大変大切である。しかし現在、バイオ研究も巨大化し、専門化してきた。今後の大発明は、従前よりも多い人数の精鋭の研究員同士のチームワークによって、より早くなされると考える。すなわち良い組織をつくり、これを創造的に機能させることである。当然、組織の中で、リーダーの役割は重要である。構成員は同質の研究員同士よりも、テーマによっては専門分野の多少異なる研究員間の組み合わせがよい場合もあろう。

第三者にバイオを「分からせる」のは非常に難しい。筆者の言う「分からせる」には、二通りある。1つは、バイオ各分野での研究員同士の相互理解である。バイオも専門化しきたので、たとえば代謝生理学の研究員が生物情報工学の最先端の報告をすぐに理解するのは困難であろう。この場合、報告する方にも、一工夫をしていただき、理解する側も合理的に努力されることである。もう1つは、市民に対する「分からせる」である。メディアなどを通じての「現代のバイオ」のやさしい解説があればと思う。そうすれば、バイオに対する世論もよい方向に盛り上がってきて、研究も進めやすくなると考える。


著者紹介 日本クエン酸サイクル研究会副会長

 

►生物工学会誌 –『巻頭言』一覧