生物工学会誌 第90巻 第2号
木村 光

アメリカでは研究者と教育者を峻別し、教育者には免税などの措置があるが、研究者には、そんな特典はないという。自らの趣味に生きているからだと聞いた。

筆者は、「自然界にはペニシリンのような素晴らしい抗生物質が存在するに違いない」という命題のもとに研究生活を始めた。一体、科学というものは、ニュートンの万有引力以来、予測を立てて、それを証明することに意味があるとえられたが、(微)生物学は「やってみなければ分からない」という典型だった。

ただし、遺伝子の構造が決定されるようになり、生物学も予測科学に仲間入りした。時計仕掛けの天体の運行は、「ラプラスの魔」を生み出したが、生物学や食品の安全性は、決定論的自然観の不得意な問題であることが分かった。我々はむしろ、ボルツマン的確率論を適用して、実験回数や試料数を増やすべきことに気がついた。これによって、微生物学と医学(ヒトの研究)の違いもはっきり認識できるようになった。研究者は、パラダイム変換を認識することが重要で、最近では、スパコンを利用した複雑系による「人工生命」の研究も活発になりつつあるので、従来の生命観だけでは思わぬところから虚を衝かれる可能性がある。

科学は人間の概念枠によって作られてきたもので、事実を離れて成立するといわれる。私どもは、地動説が正しくて、天動説は誤りだと信じてきたが、どちらも同じ、天体の観測データを根拠にしたもので、その違いは、「概念枠」(パラダイム)の違いで、データを処理していることである。識者は「理論なしの実験は単なる手順通りの退屈な習慣に過ぎない」といっている。抗生物質研究から逃げ出して、脂質や膜の問題を手がけたが、これらは生命の本質と直接関係が少ないので止めた。その頃、遺伝子操作技術が開発されたので、これこそ今後の科学技術と考え、アメリカの学会に参加(1978)、日本で初めての国際微生物遺伝学会を京都で開催した(1982)。

新しい技術が開発された時は、その為に研究課題を考えるのではなく、自分の研究にその技術を如何に取り込むかを考えることが肝要である。パスツールは言った。「基礎研究も応用研究もない。あるのは良い研究とその応用である」。筆者らは、食品工業の核酸副産物(CMP、UMP)を有用物質に微生物転換する研究から、酵母の遺伝子研究に入った。始めは、マイヤーホッフの乾燥酵母を用いていたが、DNA合成がほとんどないので、生きているとはいえず、「酵素の袋」では、将来、代謝や制御の研究が出来ないと考えてこれを捨てた。生きた酵母で、核酸関連物質を取り込み物質変換できるシステムを構築した。これがその後「酵母の形質転換法」の開発につながった。

ガルフィールドによると、「発表される科学論文の90%は、被引用回数が10回以下で、2- 3年で消えていく。残りの10%が生き残り、関連領域の研究者に引用されるが、それでも、100回になるものは稀(1%)である」。筆者らが、1982年に京都の国際学会で発表した「酵母の形質転換法」は、その後、約30年間にわたって引用され続け、2011年9月9日に、6,501回になった。トムソンロイター社の「研究者インタビュー」を受けウェブサイトに掲載された。生きている間に何回まで行くか、何処まで生きていられるのか楽しみである。

残りの人生をどう楽しむか最後の最大の関心事である。30年ほど続けてきた国際ジャーナル(AppliedMicrobiology and Biotechnology)の編集はもうしばらく続けたい。これは世界の研究者との接点だからである。ドイツの本部との時間差が効いて、夜発信の返事が朝に来る。若い時に手掛けた「ゴルフ、囲碁、謡曲、書と俳句の鑑賞」などの他、以前買い込んだ本の整理と拾い読み、庭の手入れなども捨てがたい。本稿作成中に叙勲の知らせがあり、皇居へ参上した。

最後に二句。哲学も科学も寒き嚏(くさめ)かな(寅彦)、学問は尻からぬける蛍かな(蕪村)


著者紹介 京都大学名誉教授

 

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