【随縁随意】バイオマス利用研究のすゝめ – 鮫島 正浩
生物工学会誌 第89巻 第12号
鮫島 正浩
木材の利用方法を研究することがそもそもの私の専門分野である。ただ、木材を構成する主要成分がセルロースやヘミセルロースという多糖成分であるということから、最近では、木材をセルロース系バイオマスの中で位置づけることも多くなってきた。このような分野の中で、私は木材を完全分解することができる担子菌類によるセルロース系バイオマスを構成する化学成分の分解機構ならびに関連する酵素の研究に携わってきたが、これらを取り巻く社会環境は今世紀に入ってから大きく変化した。その理由は、セルロース系バイオマスが地球温暖化防止対策としての二酸化炭素排出削減やエネルギー資源セキュリティの問題解決に寄与し、化石資源を代替する持続性資源として大きな注目を集めるようになったからである。また、その動きの中で、国策としてセルロース系バイオマスからのバイオエタノール生産技術の開発が求められるようになり、私もそのことに関連する仕事に関与することになった。
バイオエタノール事業の展開については、さまざまな立場から、その是非が議論されている。しかしながら、輸送用燃料の資源セキュリティならびにバイオマス変換利用に対する技術力確保の観点から少なくとも研究開発は推進すべきであると、私は思っている。そのようなことを考えている中で、本年3月に発生した東日本大震災とそれに引き続く福島第一原子力発電所での事故により、バイオマス利用の位置づけも大きく変わってしまった。
原発事故以前は、バイオマスと原子力は脱化石資源化ならびに二酸化炭素排出削減に向けたよきパートナーになると思われていた。すなわち、前者はマテリアルやバイオエタノールなどのバイオ液体燃料として利用することができる有機資源として、また後者は電力とそれに基づく熱エネルギーを供給する資源として、お互いに補完的な役割を果たしていくべき存在であった。実際、我が国における二酸化炭素排出削減のシナリオも、このような考え方の中で組まれていた。
しかしながら、原子力が賄ってきた膨大な電力を背景としたパートナーシップの構想をもはや描くことはできない。そのような中、本年の8月、電力事業に対する再生可能エネルギーの固定価格買取制度に関する法案が国会で成立し、来年7月から施行されることとなった。発電用エネルギーとして太陽光や風力などがその対象として大きく捉えられているが、バイオマスについても対象となっている。しかしながら、前二者と後者の間には大きな違いが存在する。すなわち、前二者はそもそも発電用エネルギーとして開発されたものであるが、バイオマスは多目的な利用が可能な有機資源であるという点である。バイオマスについては、発電用エネルギー資源としての利用だけに偏らない統合的な利用が望まれる。また、バイオマスの利活用においては、その生産ならびに変換利用プロセスの中で生物工学分野の研究成果を活かせる場が多い。
このようなことから、脱化石資源に加えて脱原子力を掲げなければならない今日こそ、バイオマス利活用推進のために生物工学が大いに力を発揮すべき時である。また、このことを生物工学に携わる多くの若い人たちに認識していただきたい。しかし、一方で研究成果の活用をあまり急ぎ過ぎてはならず、確かな技術の礎となる学問としての掘り下げと、他分野との連携に基づくバランスの取れた総合学としての展開を念頭に置かなければならない。そして、もっとも大事なことは、これらを長く継続していくことである。福沢諭吉の「学問のすゝめ」の中に、「一身独立して一国独立する」という言葉がある。この言葉の意味を考えつつ、新たなパラダイムに立脚した持続性社会の形成を見据えた「バイオマス利用研究のすゝめ」を提案したい。
著者紹介 東京大学大学院農学生命科学研究科(教授)