生物工学会誌 第89巻 第9号
大宮 邦雄

2010年10月に名古屋の国際会議場で「生物多様性条約第10回締約国会議COP10」が開かれた。会場の周辺では、世界の各地から集まった参加者が行き交い、ヒトにもかくも多様性があるものだと改めて認識した。ヒトは生活環境に合わせて進化するとともに、自然環境も変えてきた。会議場わきを流れる堀川は名古屋城築城の資材の運搬のためにヒトが作ったものであるが、今ではヒトの生活を水面に映し、ヒトに癒しとゆとりを与えている。

この会議では、資源保有国(提供国)と資源利用国との間で、活用資源から生まれる利益の配分で激しい駆け引きが行われたすえ、土壇場でのギリギリの妥協で「名古屋議定書」が採択された。これに加え、生き物の絶滅に歯止めをかける「愛知ターゲット(目標)」も採択され、いよいよ生物多様性の保全と「山川里海」、すなわち海と水の流域である山、川、里に育まれる「ヒトと生き物」が、その繋がりの中でいかに共存共栄をはかるかがヒトに課せられた大きな課題となっている。

現在活動の主軸であるヒトは次の世代のヒトや生き物にどのような自然を残せるのか? この問題は我々がどのような行動を、先のCOP10の合意に基づいて実行に移していくかにかかっている。資源保有国から提供された多様な生き物のなかから、能力の高いものを選抜し、変異技術でさらに生産能力を高めるなどの利用に関するノウハウは、利用国である我々が長年にわたって蓄積してきたものである。

このノウハウをさらに生かすには、生物と工学の両分野に蘊蓄のある若者に期待するところが大きい。生物の利用に関する伝統的知識をフルに活用し工学的取り扱いをして初めて、生物の能力を生かした産業が生まれ、ヒトの働く場所ができ、製品がヒトに購入されて初めて、利益が発生する。わかりきったことではあるが、この一連のプロセスには生物工学的分野に習熟した多くの若者の力が必要である。資源保有国の豊かな自然環境と豊かな資源に囲まれて生まれ育っている若者にも、資源生物から利益を生み出すノウハウを習熟してもらうために、生物工学会は会員をあげて、学会設立以来今日まで多大の努力を払ってきているし、今後も引き続き尽力されると信じている。

私も数年前にJICAのプロジェクトでハノイの食品工業研究所(FIRI)に2ヶ月滞在する機会を得たことがある(2005年末)。自己紹介を兼ねたプレゼンをするために入ったセミナー室は、それより数年前に、大阪大学国際交流センターの皆さんに連れられてベトナム研究者との交流をした時と同じ部屋であることを思い出した。そのときには初顔合わせのヒトばかりであったが、今回は三重大学で学位を取られた女性が主任研究員として、私のセミナーに参加いただいているのを発見した。博士論文審査のときに垣間見た彼女の初々しさに加え、若手研究者を指導しておられる自信と貫禄が滲み出ていた。現在ではさらに重鎮になっておられるはずである。

ハノイの町中では、漢字で書かれた看板が随所で見られ心安まった。孔子廟に見られる儒教精神のせいか、FIRIからホテルに帰る満員バスでは、私が乗り込むたびに即座に若者が席を譲ってくれるのには感激した。名古屋の地下鉄では、ゲームに夢中になって私の白髪に気づいてくれない若者もいるが、最近ではそれとなく席を譲ってくれる若者の好意に出会う機会も多くなった。多様な若者への期待が年を追うごとに膨らんでくる昨今である。

蛇足ではあるが、私の家の隣に雲閑寺という古い大寺がある。2011年3月まで檀家総代を勤めていた関係で、5月末には親鸞上人の750回忌のご遠忌にも参加し、京都の東本願寺に参詣した。そんなこんなでお寺の行事にも参加する機会ができ、「門前の小僧経を読む?……」うちに、心打たれる一文を見つけた。

「能発一念喜愛心、不断煩悩得涅槃」である。蛇足にさらに足を書くようなものであるが、この経文の意味は「南無阿弥陀仏のお念仏を一心に唱え、いたわりと感謝の気持ち(喜愛心)を忘れなければ、日々湧き上がってくる欲望(煩悩)を無理に押さえなくてもやすらぎの境地(涅槃=悟り)に達することができる」と勝手に解釈している。他の生物の生命をもらって生きているヒトは他の生き物への「思いやり」と「感謝」の念を忘れないようにすれば、生物の多様性を保全し絶滅危惧種を減らすことができると信じている。これができる若者への期待に胸膨らませて、日々を大切に送っている。


著者紹介 
元三重大学生物資源学部(教授)、名古屋産業科学技術研究所研究部(上席研究員)
NPO東海地域生物系先端技術研究会(アドバイザー)

 

►生物工学会誌 –『巻頭言』一覧