【随縁随意】麹菌と溶姫-北本勝ひこ
生物工学会誌 第89巻 第2号
北本 勝ひこ
麹菌のゲノム解析が完了してから5年ほどたち、約12,000と推定される遺伝子の個々の機能について、日本の大学や産官の研究所を中心として精力的に解析が進められている。私の研究室でもさまざまな遺伝子の機能解析のために、毎日たくさんの学生が麹菌をさまざまな条件で培養している。東京大学本郷キャンパスでは、麹菌を主たる研究対象としている研究室は他にないので、麹菌の培養量では、間違いなくトップであると自負している。これは、歴史的にみても同様であると思っていたが、最近、かつて本郷キャンパスの赤門の近くで麹菌が大量に培養されていたことが推定される下記のようなことを知り、少し驚くとともに嬉しく思っている。
東京大学の赤門は、1827年(文政10年)に第12代加賀藩主である前田斉泰と11代将軍徳川家斉の娘である溶姫が結婚する際に建てられたものである。正式名称を御守殿門といい、将軍家の娘が三位以上の大名と結婚した場合にのみ許されたものであり、火災などで消失した場合、再建は許されなかったので、建設の際には、周辺の町屋などは強制的に立ち退かされたといわれている。
現在の東京大学の本郷キャンパスは加賀藩主前田家の屋敷跡であり、新しい研究棟の建設に際して行われる地下埋蔵物調査では、江戸時代の遺跡が数多く発掘されている。数ヶ月前、埋蔵文化財調査室の先生から、赤門脇の建設予定地で江戸時代の地下式麹室の跡が発掘されたとの連絡を受けた。
さっそく現場を見学させてもらったところ、地下3 mほど掘り返した調査地には、中央の縦穴につづき、四方八方に横穴が開けられており、横穴の入り口には扉をたてたと思われる柱の跡が、また、麹を作っていたと思われる横穴の壁には棚を支えていた竹をさした穴がはっきりと確認できた。あかりを灯したと思われる壁には焼けた土なども見いだされるとのことだった。
江戸時代の書物にも本郷近辺では麹が作られており、味噌などが特産品として売られていたということが書かれているとのこと。関東ローム層からなる本郷台地は、地下式麹室を作るのに最適の場所であったようで、近年、お茶の水の東京医科歯科大学キャンパス付近でも同様の地下麹室が発掘されている1)。また、これらの構造は、神田明神前にある江戸時代から続く甘酒屋「天野屋」の地下式麹室と構造もよく似ていることからも、赤門ができる前は、町屋が並んでおり、麹造りが盛んであったことは間違いないと思われる。
しかし、実際に調査室の先生から、「発掘した麹室に江戸時代に使用していた麹菌が残ってはいないだろうか? これまで、直接、麹菌の検出は試みられたことはないのだが」という相談を受け、現在、麹室近辺のサンプルからPCRなどの最新の技術を駆使して麹菌を検出する試みを大学院生が行っている。もし、江戸時代の麹菌のDNAが増幅できれば、考古学的にも貴重な貢献となるばかりでなく、当時使用されていた麹菌が現代のものとどの程度違うのかなど、醸造学にとっても興味深い結果が期待される。
ところで、一昨年メキシコで開催された糸状菌の国際学会に参加したときに、カビのことをスペイン語でHongo(英語ではFungus)ということをあらためて認識した。以前、東京大学で開催した糸状菌のシンポジウムに招待した英国の研究者が、東京大学の住所を見て、「Hongoはカビという意味ですよ。カビの研究者にとってここは実にいいところだ」と教えてくれたことを思い出した。
私の研究室のある東京大学本郷キャンパスが、麹菌と深い縁のあることを知り、久々に豊かな気持ちを感じながら、あらためて「国菌である麹菌の研究を通じて、文化の香りのするサイエンスを世界に発信する」という研究室の目標を押し進めたいと考えている。これを読まれた皆様も、「麹菌の聖地、本郷キャンパス」に来られる際は是非、赤門まで足を運んでいただき、200年ほど前にはここで麹が造られていたことに思いを馳せていただければと思う。
1) http://www.sakebunka.co.jp/archive/history/010_1.htm
著者紹介 東京大学大学院農学生命科学研究科(教授)