生物生物工学会誌 第102巻 第7号
上田 誠

40年ほど昔、大学院博士前期課程1年だった私は、和文の学術誌で「バイオコンビナート」に関するコラムを読んだ。記事は、バイオテクノロジーの飛躍的な発展により、バイオマスを原料とした微生物によるエネルギー物質や化学品を製造するバイオコンビナートが将来実現するかもしれない、といった内容であった。

1980年代は組換えDNA技術が農学や工学系の大学や企業の研究室で普及し、大腸菌での有用タンパク質の異種発現など生物機能の改変や向上が注目されていた。そのコラムにおいても、華々しい生物工学の進歩により、供給に不安のある原油を原料(第二次オイルショック後であった)とする石油化学コンビナート(オイルリファイナリー)から再生可能なバイオマスを原料としたバイオリファイナリーへの原料転換の期待を込めたのであろう。私の修論テーマは「有機溶媒中の微生物反応」で、ヘキサンなどの有機溶媒中で水に混和しない脂溶性の物質の微生物変換を研究室で試行錯誤していた。リパーゼなどの加水分解酵素は有機溶媒存在下でも活性を示し、反応平衡をコントロールしたエステル合成やエステル交換といった産業利用例も後に開発されることになるが、多くのタンパク質を生理的でない疎水環境下で機能させるのは難しい課題であった。この経験から、生体中の多様な酵素を制御し、効率よく物質生産するバイオコンビナートの実現は難題だろうと学生ながら感じた。

博士前期課程修了で企業に就職することを決め、2年の春に三菱化成(現三菱ケミカル)の採用面接を受けた。面接の最後に「何か質問はありますか?」と聞かれたので、「将来、バイオコンビナートは実現するのでしょうか」と技術系面接官に尋ねた。「そりゃ無理だな…」と即答いただいたことが印象深く今でも覚えているが、その時、私は遠い未来への課題が自分に示された気がした。バイオコンビナートの実現に自分がどの程度貢献できるか予測できないが、少なくともバイオ関係の業務に就き「バイオものづくり」技術の進展を確認(ウオッチング)していくことを決めた。その後、私は、企業研究者からアカデミアに転職し、次代を担う人材育成が主なミッションとなったが、バイオプロセスに関する技術をウオッチングできる立場を継続している。

さて、この40年間でバイオコンビナートは実現したか? 1990年代のタンパク質の進化工学、2000年近くからの代謝工学、近年の生成AIを用いたタンパク質の設計など多くの要素技術は進歩しているが、代謝ルートを設計し、精密かつ柔軟な制御により微生物を望む状態で機能させることは現在でも難しい。日本の工業地帯は相変わらず石油化学コンビナートの風景だが、世界的にはバイオエタノールやバイオプラスチックの製造などのバイオリファイナリーが実現していることを前向きに受け止めたい(日本の貢献が少ないことが気になるが)。研究の進め方も大きく変わってきた。バイオプロセスでの微生物の育種というと個人的には斬新なアイディア、および粘りと頑張りの古いイメージがあるが、2000年以降のバイオプロセス開発においては、国家的な戦略と資本投下により先端技術を持つ技術者集団がロボティクスを活用してスマートセルを構築し、事業化を推進する時代となり、大学の研究室や企業が単独で技術開発できるレベルを超えている。

日本政府はスタートアップ人材の育成に力を入れている。私が所属する小山高専でも2023年度にスタートアップ教育環境整備事業に取り組み、学生が自由に活動できる起業家工房(試作スペース)と起業家マインドを熟成する教育プログラムを整備し運用を開始した。社会のニーズと政治・経済的な支援があり、社会的な課題にアプローチし解決のため行動する優れた人材により、バイオものづくり(=バイオコンビナート)が実現していくことと、日本生物工学会には、優れた若手が活躍できる社会的な雰囲気を醸す役割を期待したい。


著者紹介 
京都大学 大学院農学研究科 産業微生物学講座(産学共同講座)(客員教授)
小山工業高等専門学校 物質工学科(嘱託教授)

 

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