【随縁随意】私にとっての生物工学会 – 小林 元太
生物生物工学会誌 第101巻 第9号
小林 元太
「巻頭言“随縁随意”」の執筆依頼を安直に引き受けてしまったものの、さて何を書こうかとずっと悩んでおりました。そもそも「巻頭言」とは高名な大先生がお書きになるもので私が書くなど大それたことだと思いながらも、記憶と記録をたどりながら、学生の頃からお世話になっている本会で得たことについてご紹介してみます。
2022年末にコロナ禍でままならなかった九州支部佐賀大会を実行委員長として対面式で開催することができ、福﨑英一郎前会長にも遠路はるばる佐賀までご足労いただきご講演いただきました。その際に色々な先生方と久しぶりにお話しができ、お酒を酌み交わし(ここがとても大事です)、大変刺激を受け、やはり対面式の学会は良いな~大事だなぁと痛感したところです。さて、私自身が初めて参加した学会も、本会の前身である日本醱酵工学会大会(於 大阪国際交流センター)でした。遠い遠い昔の1988(昭和63)年11月(修士1年)のことでしたが、自分の番が来るまでの緊張感や話し終えた後の安堵感、そして会場いっぱいの聴衆に驚いたことなどを昨日のことのように思い出します。そして翌年に名古屋大学で開催された同大会でも発表をすることができ、それらの成果をまとめた初めての論文が掲載されたのも『Journal of Fermentation and Bioengineering(JFB)』でした。まさに私の研究者としての第一歩は日本生物工学会(日本醱酵工学会)から始まり、後に九州支部長となる恩師の故 石崎文彬先生(九州大学名誉教授)の生物工学に関する熱いご指導がなければ、今の私はありません。本学会とのご縁をとても感じています。その後、鐘淵化学工業(現 カネカ)を経て、1996(平成8)年に九州大学農学部助手として赴任しました。大学教員となった後は、前述の石崎先生が初代支部長として設立された日本生物工学会九州支部を中心とした学会活動を今でも行っています。
さて、本学会活動でもっとも楽しかった(有意義だった!?)のは何といっても「生物工学若手研究者の集い(若手会)」です。当時の吉田和哉若手会長から九州地区での開催を依頼され、手探りで開催したことも良い経験になり、参加・協力してくれた当時の若手(今はただのオッサン)の皆さんとは今でも交流が続いています。若手会の良いところは、お酒を酌み交わしながら、さまざまな分野の人たちと語らうことにより、将来的に役に立つ人間関係を構築できることにあると思っています。1999(平成 11)年に「休暇村 南阿蘇」で開催した若手会の巻頭言に吉田和哉先生が「夏のセミナー’99によせて ―ワイワイ騒ぐのがエエわ!」「インターネットフォーラムで酒は飲めませんもんね」と書いてくださっていますが、コロナ禍を経て対面式の良さを実感するにあたり、まさにその通りだと思っています。本学会の多くの方々とはその頃にお目にかかって以来お付き合いしていますし、最近では九州地区で「若手だった会」という任意部会(笑)を設立し、遠い昔に若手だったメンバー達と今でも熱い議論を戦わせています。
その若手会は、若い人たちだけでなくさまざまな人たちが交流をはかる場として非常に大事だと思いますが、今の学生さん達を見ると違和感を覚えることがあります。最近は趣味・嗜好が多様化しており、私の若い頃とは少し考え方が変わってきており、飲んで楽しいというだけでは、なかなか理解してもらえないようです。その最近の学生さんたちへの思いを少しだけ述べさせてもらえればと思います。私が企業から大学に移ったときに、なかなか大学に来ない学生さんが多くて、いったい何のために大学に入ったのかなと思ったことがあります(今でもそう思っています)。もし大学が面白くないのであれば、もっと面白いことを探せば良いのになぁと思いますし、自分のテーマに興味を持てない場合でも、それをどう受け取るかは自分の考え方次第だと思います。ほとんどの学生さんは自分自身の卒論や修論テーマの実験・研究を社会に出てからやることはありません。だからこそ、いま何のために実験・研究をするのかということを自分自身で考えてみて欲しいなと思います。たぶん、テーマは何だって良くて、その問題を解決するプロセスを学んでいるのだと気付けば少しは気持ちも変わるのでは…。
私は、彼らに、実験「を」教えるのではなく、実験「で」教えることが大事なんだと常日頃から思っていますが、それも日本生物工学会のさまざまな分野の皆さんとの交流で学んだことであり、今でも大変感謝しております。
著者紹介 佐賀大学農学部生物資源科学科生命機能科学コース(教授)