【随縁随意】覧古考新 – 梶山 慎一郎
生物生物工学会誌 第101巻 第7号
梶山 慎一郎
年初から暖かい日が続き、例年雪がちらつく大学入学共通テストも今年は穏やかに過ぎたと思っていたら、昨日から10年に一度という寒波が襲ってきた.私立大学の一般入試も始まっており、受験生に影響がでなければよいのだが……。毎年この時期になると自身が受験生だった頃を思い出す。当時は未だバブル崩壊以前で、周りもなんとなく将来に対する期待感みたいなものがあったように思う。受験生であった私もバイオテクノロジーをはじめとする科学技術の進歩に、これからどんな素晴らしい未来が待っているのだろうと胸躍らせていた。大学に入学し、研究室に配属されてからも、誤解を恐れずに言うなら、自分の興味に素直で心底研究を楽しんでおられる先生方や先輩が多かったように思う。あれから30有余年の年月が流れ、社会環境は大きく変化した。特に情報処理技術の進歩は目覚ましく、今やチャットAIがMBAに合格する時代である。生命科学の分野でも、あらゆる情報に簡単にアクセスし、データ横断的な解析やさまざまな予測・診断にAIが用いられるようになってきている。この状況は、ある意味科学者にとって夢の時代のはずだが、何となく昔のようにワクワクしないのはなぜだろう。
先日たまたまNatureに気になる投稿を見つけた。お読みになった諸氏もおられると思うが、さまざまな科学分野の過去60年に発表された膨大な数の論文や特許、さらにはアブストラクトの解析から、最近の科学技術研究の革新性が著しく鈍化してきている事を指摘した論文である1)。もっとも、発表論文の数自体は増えており、論文の質も特に低下しているわけではないのだが、多くは既知の知見の組合せや漸進的展開にとどまり、いわゆる常識を打ち破るような真に創造的で革新的な研究(原著ではdisruptiveとなっており、巷では「破壊的科学技術」と訳されるようであるが、なんとなくしっくりこないのでここではあえて、革新的研究とし)の割合が科学のあらゆる分野で減ってきているというのである。この論文ではその理由として、近年、研究者がより狭い分野の知識に依存して研究を行う傾向にあることを挙げている。また、このような傾向は、個々の研究者のキャリアには利益をもたらすが、より一般的な科学の進歩には結び付きにくいと指摘している。真に革新的な研究には、分野を超えた幅広い知識との関わりが必要であるというのである。
ただ、なぜそのような傾向になってきたかについてはあまり述べられていない。そもそも技術革新に学際的な視点が重要であるという指摘は従前から行われてきたし、大学の学部や研究科もそのことを意識して組織化されてきている。問題は研究者が異分野に興味を持つ余裕が無くなってきていることではないだろうか。
ここでいう余裕とは、時間的あるいは制度的な制約が少ないという事ではなく、いろいろなことを面白がる「心の」余裕である。言い換えれば、研究者の心理的安全性が低くなってきているのではと思うのである。日本だけでなく世界的に見ても、人類の持続可能性への危機感から、差し迫った問題に対してより即効性を有する研究に重点が置かれ、研究者に対する社会的要請も、シビアになってきているように感じる。必要は発明の母であるから、このような雰囲気は必ずしも疎まれるべきではないのかもしれないが、無駄を許容しない状況は研究者を萎縮させ、結果としてパフォーマンスが低下するのではないかと思う。
気象問題やエネルギー問題、食料問題など人類が直面する難題の解決に資するキーテクノロジーやこれらを乗り越える知性を生み出すためには、逆説的ではあるが研究者の遊び心や心理的安全性の確保が重要ではないだろうか。もちろん、状況のせいばかりにしてはいられない。研究者もつとめて異分野の知識に興味を
持てるよう、自身の心のマネジメントの努力が必要だろう。今年の受験生の中にも科学を背負って立つ人材がいることであろう。上記の論文でも今後科学政策が変わるかもしれないと書かれていたが、彼らが2045年にも訪れると言われるシンギュラリティを迎えた後も、自分の興味に素直に研究できる事を願う。
1) Park, M. et al.: Nature, 613,138 (2023)
著者紹介 近畿大学大学院生物理工学研究科(教授)