【随縁随意】黎明期の研究者をたずねて – 魚住 信之
生物工学会誌 第100巻 第8号
魚住 信之
新型コロナウイルスで世の中が右往左往しているためか、ウイルスという言葉から心に浮んだ思い出がある。学生の時、『蛋白質 核酸 酵素』という月刊誌(2010年1月号にて休刊)が研究室においてあった。毎月、ぱらぱらとめくって、その時の分子生物学分野の流れやキーワードを拾っていたように思う。ある時、珍しく、バクテリオファージの総説を読み始めたことがある。実は、そのウイルスに興味があったわけではなく、内容がとても面白かったからである。『蛋白質 核酸 酵素』はまじめな科学雑誌であるので、笑みを浮かべて読むような雑誌ではない。私が笑いながら読んでいるので、「大丈夫か?」と研究室の友人にからかわれた。
その総説1) は、当時としては珍しく、ふた月にわたって林多紀(Masaki Hayashi)先生が一人で執筆されていた。林先生は、ファージの分子機構を解明し、再構成系を構築した分子生物学の先駆者であり、ノーベル賞を受賞された利根川進博士の大学院時代のアドバイザー(指導教員)でもある。この総説の前半では、林先生自身が経験した研究にまつわる出来事がユーモアを交えて記述されており、主題であるはずのφX174ファージに関する内容は記述されていなかった。しかし、大学院生の私は研究生活を垣間見たようで、とても参考になるものであった。「子供の時に憧れを抱いていた博士論文を書くことが、やってみるとこんなにつまらない作業で、それよりも研究がしたかった」という内容は心に残っている。体裁を整える作業よりも、研究にワクワクしていることが伝わった。思い描くことと現実は違い、実際に体験しないと分からないのだろうと想像した。
私は他学部の助手になり博士の学位を頂いた後、海外の研究室を探す際に大学時代の恩師に相談した。数年間外国でポスドクをされた経験にもとづいたアドバイスは貴重であった。「研究者は一匹狼なのだから、希望する研究者に手紙を出すことです」と教えていただいた。この「一匹狼」という言葉が心に沁み、面識もコネもなく単に興味がある異分野の専門家に手紙を出したところ、採用いただいた。この研究室は、偶然にも林先生と同じ大学であった。そして、ふらりと先生の研究室を訪ねたことがある。林先生はちょうどご在室であったが、ご迷惑であろうから挨拶だけさせていただいて帰ろうと思っていたところ、「妙な日本人がやって来た」と思われたのか、オフィスでお話をさせていただいた。「あなたと同じように、他の人にもあの総説を褒められた。“私”という言葉を、わざとあの和文総説では使用しなかった」と、隠れたこだわりを教えていただいた。さらに、林先生はご自身の学生時代を振り返り、「異国における初めての講義で分かった内容はすでに知っていたことだけだった。つまり、何も英語で理解できていないことが分かった」と思い出を述べられた。秀でた科学的成果をあげた研究者の、大学院における「はじまり」を教えていただいた。
あれから年月がたち、お会いした時の林先生の齢に私も近づきつつあるが、かっこいい研究者の像は変わっていない。分子生物学の黎明期から、生命現象の巧みさに驚嘆し、真に良い研究を遂行しようとする林先生の姿に美しさを感じた。また、黎明の頃から脈々と流れる科学的知見は、競争というよりも、時間と空間を超えた研究者による共同作業の賜物であるとつくづく感じる。さて、自分自身はどうなのだろうか。科学の世界の端くれで没落していないか。紙一枚、一枚とわずかであっても新たな研究結果の積み重ねに参加しているのかと、自戒するのである。
1) 林 多紀:蛋白質 核酸 酵素、4, 363 (1988).
著者紹介 東北大学大学院工学研究科(教授)