生物工学会誌 第100巻 第4号
民谷 栄一

2022年を迎え 、新型コロナウイルスオミクロン株の大流行に世界中が再び悩まされる状況になった 。そのコロナ禍のため1年遅れで開催された昨年の東京オリンピックであったが 、筆者の年代になると前回の東京開催の1964年のことを思い出す 。筆者は当時小学生であり 、学校に導入されたばかりのカラーテレビを教室で見ながら日本人選手を応援した 。それから半世紀余りが過ぎたが 、その当時からライフスタイルは大きく変化した 。

今日 、ほぼ全員がPCやスマホを持ち 、インターネットを通じてさまざまな情報にいつでもアクセスができるようになり 、それを行動のベースとするような生活様式も一般的になってきている 。さらにAIも積極的に活用されるようになった 。これらのことは 、物理学や情報分野における科学技術の発展が基礎となっている 。1920年代に提案・確立された量子力学は 、今日のエレクトロニクス 、フォトニクスの基礎ともなり 、半導体を用いたトランジスタ(1948年)の発明 、半導体レーザーの開発(1970年) 、Intelによるマイクロプロセッサー(1971年) 、Apple社のPC(1977年) 、光ファイバー通信(1981年) 、インターネット標準化(1982年) 、携帯電話事業(1985年)へと展開された 。さらに 、iPhone(2007年) 、4G開始(2010年) 、AI AlphaGo(アルファ碁)(2016年) 、5G開始(2020年)と今日に至っている 。こうした怒涛の如く進展した情報技術が今日の我々の日常生活の基盤となっているのは言うまでもない 。

一方 、バイオサイエンス・テクノロジー分野においても華々しい進展があった 。従来の発酵などに代表されるオールドバイオテクノロジーから 、遺伝子(組換え技術1972年)やタンパク質(モノクロナール抗体1975年)など分子レベルでの設計や操作を可能としたニューバイオテクノロジーが生まれた 。新型コロナウイルスの診断で毎日ニュースにも出てくるPCR技術(1983年)やDNAシーケンシング技術(1977年)も開発された 。ファイザーやモデルナのワクチンで用いられているmRNAからタンパク質への翻訳に関しても1980年代に明らかとなっている 。筆者の専門とするバイオセンサー分野においても 、酵素センサー(1967年) 、ELISAイムノアッセイ(1971年) 、SPRバイオアッセイ(1986年) 、DNAチップ(1989年)などが開発された 。

以上のように 、この100年の間に人類史上において 、爆発的に科学技術が進展した 。人類史をホモサピエンス出現からとすれば数10万年の歴史があるといわれている 。その最後の100年というきわめて短い期間での出来事である 。もし 、100年前に生まれていたなら 、こうした科学技術の恩恵は受けられなかった事になる 。

今日のコロナ禍と100年前のスペイン風邪(1918–19年)はよく比較されている 。科学技術の観点から見ると 、100年前の状況は今日と相当に異なる 。スペイン風邪は 、その原因はインフルエンザA型であることが後になってわかるが 、その当時は 、ウイルスの存在自体まだ認知されていなかった 。
第1回ノーベル賞候補にもなった北里柴三郎は 、コッホの研究室で微生物学を学び 、破傷風菌の純粋培養に成功し 、抗毒素の発見や血清療法の開発などの大きな業績をあげた 。スペイン風邪の時にも原因を探ろうとしたが、ウイルスの発見には至らなかった 。その当時は光学顕微鏡では見えないウイルスの存在は確認できなかったためであろう 。1930年代になり電子顕微鏡が開発されると 、ウイルスを実像として目にすることができた 。電子顕微鏡に限らず 、計測技術の発展は科学の進歩に大きな貢献をした 。

ところで 、武漢から始まった新型コロナウイルス感染症の実体であるウイルスの塩基配列が 、Nature誌に報告された1) 。それによれば 、2019年12月26日に入院した患者の6日間の病状の変化を追跡すると同時に塩基配列を解析し 、論文原稿は2020年の1月7日には投稿された 。このように1–2週間程度でウイルスのゲノムが明らかにされている 。これには次世代シーケンサーや蓄積された遺伝子データーベースの貢献が大きい 。また 、その配列をもとにPCRのプライマーも設計され 、迅速診断を可能とした 。ワクチンもスペイン風邪の時はまだ開発されていなかった 。今日 、高い有効性を示すと報告されたファイザーやモデルナのワクチンはRNAを脂質膜に包括したものである 。このように 、科学技術の進展によりスペイン風邪の時とはまったく異なり 、病原体の原因を探り 、対処するための術を我々はいくつも手にしている 。

今日に生きる我々は 、こうした科学技術の恩恵をリアルタイムに受けていることを再認識するとともに 、さらなる発展のためには 、次世代を担う科学技術人材の育成を強力に推進すべきと思う次第である(2022年1月13日執筆) 。

1) Wu, F. et al.: Nature, 579, 265 (2020).


著者紹介 
産業技術総合研究所 先端フォトニクス・バイオセンシング オープンイノベーションラボラトリ(ラボ長)
大阪大学 産業科学研究所(特任教授)

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