生物工学会誌 第100巻 第1号
会長 福﨑 英一郎

我々の学会は、工学に軸足をおき、バイオテクノロジーの発展の一翼を担いながら、2022年に学会創立100周年を迎えます。その節目に学会長を務めることの責任の重さを痛感しております。何とか学会員各位の思い出に残る、素敵でかつ今後のさらなる学会発展の一助となるように100周年事業を成功させたいと願っています。学会員の皆様のご協力、ご支援を期待する所存です。最初に100周年に向けた覚悟とお願いを申し上げた上で、ポスト100周年において生物工学会が進むべき道についての個人的な所感を述べたいと思います。

さて、みなさんご存知のように我々の学会は、1923年に創立された大阪醸造学会をルーツとしています。当時は国税に占める酒税の割合がきわめて高かったこともあり、醸造技術(特に清酒醸造技術)を発展させることが国益に資することであり、我々の先輩達の使命感も如何に大きかっただろうと思います。第二次世界大戦後、研究対象として抗生物質発酵、アミノ酸発酵、核酸発酵などの非アルコール性発酵の重要さが増すにつれ、我々の学会の研究課題は微生物を用いた有用物質生産に広がりを見せました。そして、学会創立40周年を迎えた1962年に日本醱酵工学会と改称しました。さらに前世紀末のバイオテクノロジーの革命的発展を受けて、学会創立70周年の1992年に日本生物工学会と改称し、現在にいたっております。

酒造りの技術研究集団が100年かけて、生物アクティビティーの有効利用の最大化研究を行うまでに発展したと言えます。研究対象は、微生物から動植物まで広がり、酵素や遺伝子、タンパク質、代謝物の網羅的解析も視野にいれる広大な研究領域をカバーするにいたっております。学会の研究範囲が広がるということは、当該学会のコアコンピタンスの一般性と拡張性が期待されたからに他なりません。ただ学会員数の漸減の中での急速な研究範囲拡大は、局地的に見れば研究者層の薄さを露呈する一因になりかねません。また、急速な技術の発展に伴う研究必要経費の増大は、若手研究者から、研究室を主宰するシニアまでも苦しめる要因となっています。生物工学という学問は、「社会ニーズにバイオテクノロジーで応えるサービスサイエンス」と考えることができますが、応用を志向する研究分野で高額研究費を得ようとすれば、社会実装を強く意識した研究計画にならざるをえません。「バックキャスティング」という言葉に悩んでいる研究者が如何に多いことでしょうか?ある著名な計量経済学者が「絶対成功する研究などそう多く無い。『選択と集中』よりも、『ばらまき』の方が期待値は高い」と発言されていました。奇しくも我々が若手と呼ばれた当時は、研究者に対しては短期的成果を求めない大らかな雰囲気があったと思います。優秀な研究者が世界中から集まる米国では、継続性よりもチャンスの平等を優先し、競争により優秀な研究者を選りすぐることができるのでしょう。ただし、激しい競争の敗者に対する復活戦も用意されていると聞きます。

しかしながら、資源や場所や言語の制限がある日本に同様のことが成り立つとは到底思えません。「選択と集中」「競争原理」が本当に日本の科学技術発展のための最良のシステムかはデータに基づき検証する必要があると思います。さて、日本は少子高齢化が進みますが、アジアでは発展を続ける国が沢山あります。それらの国々と対等の関係でWin-winの協業が今後一層必要になってくると思います。そのために必要な国際化も100周年を契機になお一層進めていきたいと思います。

最後に、数年前、小職が尊敬する先生が英国ケンブリッジ大学の旧友と会われたときの会話についてお話したいと思います。私の先輩は、「日本では、最近、大学を良くするために様々な改革を行っている。ケンブリッジ大学はどのような改革を試みているのか?」と尋ねたそうです。それに対してケンブリッジ大学の先生は「ケンブリッジ大学のシステムは基本的には数百年間変わっていない。しかし、世界中から優秀な人材を集めているし、研究力も落ちていない。日本は改革によって何が良くなったのですか?」と問い返したそうです。英国が良くて日本が悪いと短絡するつもりは毛頭ありませんが、考えさせられました。「変化こそチャンス」と良く言います。ただ、「変えるべきでないことを変えない見識」「変わるべきでないときに変わらない勇気」も重要だと思います。以上雑駁ですが、巻頭言とさせていただきます。


著者紹介 
大阪大学大学院工学研究科(教授)
大阪大学先導的学際研究機構産業バイオイニシアティブ研究部門(部門長)

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