【随縁随意】 発見と発明に関する怪談-浅野 泰久
生物工学会誌 第93巻 第10号
浅野 泰久
講演会に付随したパネルディスカッションに何度か出演させていただいたことがある。あらかじめ、座長と大まかな到達点について話し合うのだが、傍から思うほどはっきりと結論を決めて臨むものではなく、ありとあらゆる発言が可能なアドリブの世界である。滔々と自分の意見をうまく述べる演者もあり、また予想しなかったような発言もあって、異なった方向に展開していく場合もある。全体の意見を踏まえ、その流れに沿うように、また自分からの新しい視点を入れるように、瞬時に協調点などを探って発言しなければならず、表現に慣れていない者は大変冷や汗をかくものである。自己の発言記録を読むと、論理が整然とせず紆余曲折しているなど、記録とするには大幅に修正を要することが多い。このように、パネルディスカッションは、研究と似ていて、瞬間のきっかけで局面が展開する芸のようにも思える。
数年前、アメリカで開催された産業用酵素の講演会で、私は、各国における酵素の産業利用についてのパネルディスカッション要員として乞われて壇上に上がった。テーマ以外の打ち合わせはまったくなかった。外国人として口下手は当然なので、ある種の気楽さもあったが、まったく準備がない状況で窮地に陥り、最後の瞬間に自分が思いついた話題は、以下のようなものだった。
「私は幸運にも比較的長く研究に従事する機会を得ました。発見・発明について言えば、たとえば1000の発明をして特許を取ったとしても、3つさえ産業化のきっかけにもならないそうだ。日本の酵素応用技術が世界を先導してきたことは周知のとおりである。そのプロセスの多くは、発見を伴った発明であったことに気づいて欲しい。発明だけしようとしてもコピーになることが多いのではないか。発見についてたとえ話をさせていただきます。発明に先立つMr.発見君は、いわばものすごいスピードで駆け抜けてゆくので、彼が通る瞬間は、普通の人間はほとんどわからないそうです。彼を見た人は少ないが、前髪だけに毛が生えているが、頭の後ろはのっぺらぼうであり、とても変わった姿であるらしい。人間は発見・発明をしようといつも待ち構えており、彼を捕まえようとするのだが、なかなか捕まえられない。なぜなら彼が駆け抜けた後に彼を捕まえようとしても、後頭部がのっぺらぼうだから、つるりと逃げられてしまうのだ。まれに捕まえることができるのは、彼が真正面から走ってきたときであり、そのときだけ前髪をがっちり捕まえることができるのである。」会場は大爆笑となり、この短いスピーチで難を切り抜けた。実は、これは私が在籍した(財)相模中央化学研究所に伝えられていた、有機化学上の発見に関する怪談の一つであった(注)。
豊富な自然の中で遊びながら育った私が、実験科学に魅せられ大きく研究の方向に進路を転換させていただいたのは、有機化学を専門とする研究室で卒業研究の機会を得た時のことである。さらに、大学院では応用微生物学を専門とする研究室に所属し、ご指導をいただいた優れた先生や先輩方のおかげで、実験室での実験生活の楽しさと、自然の中での幼年期の遊びとをいわば重ね合わせることができた。ありとあらゆる実験と数限りない失敗を重ねることを許していただいた、先生方の大らかなご指導に感謝している。
自然は永遠であり、人間はそのほんの一部を解明してきたに過ぎない。これまでの研究人生の中で、はたして彼がMr.発見君だったのかどうかは釈然としないが、偶然と思われる生物現象の発見に何度も遭遇した。一方、自分の自然に対する洞察力のなさを痛感し、悔しい思いをすることもあった。それらの発見を、発明として形にし、産業化へと導いていただいたのは、やはり優れた先生方、同僚、学生諸君、そして企業の研究者の皆様であった。分子生物学が発展し、研究がデジタル化されている現在であっても、私は自然界を超高速で走るMr.発見君の気配を以前にもまして大きく感じている。過去のアナログ的な時代の研究だけにMr.発見君が潜んでいるのではないと思う。彼になかなか巡り合えない苦しみも大きいが、別のMr.発見君を正面から捕まえてみえたいものである。
(注)「「幸福」が来たら、躊らわず前髪をつかめ、うしろは禿げているからね。」『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』(杉浦民平訳、p. 40、岩波文庫)に由来していると考えられる。
著者紹介 富山県立大学工学部生物工学科(教授)、JST、ERATO浅野酵素活性分子プロジェクト研究総括