生物工学会誌 第88巻 第11号
阪井 康能

実用化研究で多くの業績をあげられた山田秀明先生が、「大学で行う研究はすべて基礎研究です」とおっしゃったことがある。学生だった当時の私には今ひとつピンと来なかった。基礎で得られた知識・情報・技術を応用展開していくのが当然と考えていた。が、自身の研究生活を通し、何が起こったのか、まったく訳のわからない不思議な生命現象を何度も目のあたりにするにつれ、その考えが変わってきた。

典型的な工学製品、たとえば材料を加工して作り上げていく機械や化学製品、あるいはコンピュータ・ソフトウェアなどは人間が100%その手で作り上げる。車、時計のようなモノばかりでなく、ソフトウェアもちゃんと動かなければ、それは材料に問題があるほかは、設計が間違っているか、作り手のミスが原因である。綿密な設計図をつくるには数学や物理という基礎的な素養、また製作にはそれに見合った技術がそれぞれ必要なので、工学が“基礎から応用へ”と発展したのは自然な成り行きと言えよう。

一方、生物は、我々が何も手を加えなくても、すでに目の前で生を営み動いている。最も典型的な生物工学であるエタノール発酵にいたっては、微生物の存在が知られる以前より、酒造りのための技術やノウハウを人類が獲得し、それを継承してきた。かと言って、酒造りと科学が無縁であったわけではない。自然発生説の否定と発酵現象の解明こそが、現代生物学・生化学の源流である。フランスの醸造組合が、ワイン製造がうまくいかないのに困ってパスツールを訪ねていなかったら、彼の発酵分野における輝かしい業績はない。応用を出発点にして大きな基礎科学が生み出された。そしてその数十年後に明らかとなった代謝反応や調節機構の解明が、新たな応用領域であるアミノ酸発酵・バイオコンバージョンなどの技術として花開くこととなる。

ここで一つ、注意を喚起したい。こと生き物を対象とする場合、機械のようにすべての部品とその役割がわかっているわけではない。私は生物系の工学研究者は、このことを心に留め、声を大にして訴えるべきであると考える。全ゲノム配列、ある生命現象の分子メカニズムが解明されたといっても、それは生命のごく一部、一つの側面でしかない。生物を部品からなる精巧な機械として扱う機械論的な立場では、まだ限定的にしか生命現象を理解できず、生きていることの本質的な理解にはほど遠い。ゲノムは入れ替えられても工学的に細胞が組み立てたられたとは、まだ言えない。ゲノム情報に従って機能するタンパク質の“TPOを心得た”発現は、細胞レベルで見ても分化の過程や環境によって異なるし、個体レベルで見れば、個体間で異なっている。だからこそ、それぞれの個性や顔が生まれ、生物間相互作用や社会が成り立っている。タンパク質のみならず脂質や糖鎖、そのほか多くの二次代謝産物、そしてこれら生体分子の機能など、生化学でも分子生物学でも、わかっていないことが多すぎる。

このように生き物には、まだその発見を待っている未知の部品、機能、生命現象が数多く潜んでいるが、ここで忘れてはならないのが、生命・自然に対する畏敬の心である。特に研究者にとっては、期待どおりにコトが起こらない結果に対する寛容性が必要だ。そういうデータにこそ、新しい生命現象が潜んでいる。

科研費などのグラント審査をしていると、特に目的指向のねらいが定まった申請において、できすぎた話が多いように感じる。システムとして完璧に完結していて非の打ちどころがなく減点しにくいが、生き物を対象としているにしては面白みに欠け、何か物足りない。

研究の独創性は、基礎科学のみならず、特許取得のためにも重要なファクターである。大学における生命科学研究では、どんな小さなことでもよいから新しい生命現象を自ら見いだし、それを発展させるのが独創的研究の基本ではないだろうか。新しい生命現象を見つけることができたなら、その現象の背後にある本質的な理解と、それを何かに役に立てられないかという両面から考えることも重要である。

何が起こるか予測できない生命相手の研究だからこそ、夢も希望も湧いてくる。そのため私は、生き物を対象とした研究を進める上で、少なくともその出発点には、基礎も応用もない生命の偉大な不思議、まさに神秘ありき、と考えることにしている。


著者紹介 京都大学大学院農学研究科応用生命科学専攻(教授)

 

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