生物工学会誌 第88巻 第10号
福井 作蔵

昨秋、日本微生物生態学会**の総会(2009.11.22、広島大学)に招かれ、特別講演をしました。ロートルである私(当時85歳)も名誉ある機会を得たわけで、思いの丈を語りました。予定した講演・討論を無事に終え、自分の席にもどった時、思わず目を疑いました。質問のある人たち10人以上が列を作って待っていたのです。幸せを深く感じた一瞬です。その時の熱い気持ちが今も思い出されます。生物工学会の諸
兄諸姉にも、このコラムを借りて講演内容(大要の要約)を紹介させていただきます。

さて、講演は聴衆と一体化できる話題を取り上げるのが原則である。具体的には、“微生物生態学のための微生物学とはどんなもの”を話題にした。進行は、「現在の微生物学分子生物学は、ともに微生物生態学には適さない」から出発して、「微生物増殖学のすすめ」をゴールとした。

導入は、微生物学の特徴を明らかにするために、その生い立ちを振り返ることにした。微生物学の歴史は「食品の腐敗」と「病気の伝染」の事実検証から始まる。微生物の介在を確認し、“腐敗・病気”と“特定微生物”との因果関係を明らかにした。また、微生物(生命)と酵素(触媒)の区別を実証した。それ以前も、その後も、学者たちは一貫して分析的な考え方を微生物学に適用し続けている。すなわち、現象
を単純化、モデル化することで自然を解釈し、微生物学や生物学の発展をリードした。そして、増殖とは遺伝子(DNA)を増幅、子孫細胞に伝達継承する事象であることを分子レベルで明らかにした。分子生物学の創造である。分子生物学は、いまや最先端の科学技術で、人類に絶大な貢献を果たしてきた。単純化を駆使して得た果実(みのり)である。

「果実」はあまりにも豊かで美しく、私たちは眼を奪われ、つい「忘れもの」をしてしまった。
さて、生物学上の「忘れもの」は,「置去りにしたもの」も含め、その数は想像もつかないくらい多い。
2つの例を挙げて「忘れもの」に対する注意を喚起しよう。

忘れもの1. <複合化>
自然界では、各種の微生物たちは同一空間を共有しながら、相互に増殖を抑制・促進しあい、複合化した社会、たとえば「生態」を形成している。複合化は単純化の対極にある概念であり、「集合による機能の創生」を促進し、生物に新しい可能性を与えるものである。したがって、生物学は単純化と複合化で織り成された学問であるべきだ。なのに、私たちは“複合化”を押入れにしまいこみ、とうとう「忘れもの」
にしてしまった。それゆえ、単純化を基本理念として作り上げた現在の微生物学や分子生物学のみでは、複合化された社会(現象)の解読は困難なのである。

忘れもの2.<生残能>
純粋培養(細菌など)での生育(増殖)実験は、細胞数が指数関数的に増加する点のみを強調し、「増殖を停止した」細胞には目もくれない。「生残能」とは、増殖を停止した細胞が、なおも生きようとする力のことであるが、具体的には増殖機能を再起動させる力のことである。生残能のリカバリーやコントロールは、「生命」の作出や「環境」の評価などに連動する高くて鋭い標的である。

“事業仕分け人”の顔を覗きみると、「そんな忘れものを拾って何になる!」と一喝されそう。「基礎研究のレベルが応用研究のレベルを決める」と反論したいのだが。

さて、生物学における「忘れもの」はきわめて多く、枚挙に暇(いとま)がない。この現実を踏まえる時、ただちに新しい微生物学を立ち上げるべきと思う。手始めとして、微生物生態学の基礎となる微生物増殖学の構築を目指すのはどうであろう。

*微生物増殖学は、著書「微生物増殖学の現在・未来」(福井・秦野 編集監修、地人書館、2008)より引用。
**詳細は「第25 回日本微生物生態学会」のレクチャー・ガイドを参照されたい。


著者紹介 広島大学名誉教授

 

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