生物工学会誌 第88巻 第9号
山田 靖宙

はじめに身の上話からすると、私は神戸で生まれ西宮市で育ち、六甲山脈を毎日眺めて小学、中学時代を過ごした。自然環境がよく、我が家の周りは水田、貯水池があり、それをつなぐ水路があり、フナ、モロコ、ドジョウ、ウナギも獲れた。昆虫もカブトムシ、クワガタ、多種類のカミキリムシ、蜂も採集できた。初夏には蛍が多数みられ蛍狩りをして遊んだ。夏は香櫨園の浜に出かけメゴチ、ハゼ釣りなど豊かな自然を楽しむことができた。現在の環境は神戸淡路大震災以後大変容し、池は埋め立てられ、畑は集合住宅になり、海岸はコンクリート護岸されている。

中学2年生のとき父親の転職で東京に移り中学、高校、大学は東京で卒業した。千代田区に居住したが昭和20年代の東京都内の自然環境の悪さにはゴミ処理システムを含めて驚いた。都心の下水は完備していたが千代田区を貫く神田川は、排泄物を東京湾に運び、廃棄する船が通い糞尿臭を撒きちらしていた。生物系を目指し、東京大学農学部を卒業、同大学院博士課程を終え、助手を6年務めた。この間有機合成化学を専攻した。

大学紛争が始まり収まった後1970年に大阪大学工学部醗酵工学科に助教授として赴任した。ちなみに大学紛争はフェーズ遅れで京大を経て阪大にも及び、私は東京、大阪でゲバ棒の襲撃を体験した。当時の北千里の阪大キャンパス付近は万博会場に近く、活気にあふれ、会場来訪者で交通渋滞多発地点であった。日本の景気も良く建築ブームの時代であった。

所属研究室の岡田弘輔教授は酵素工学の専門家であり生物有機化学専門の私に酵素の化学修飾の課題を、学科主任の照井堯造教授は放線菌の抗生物質誘導因子の分離構造決定の課題を下さった。いずれの課題もやりがいのある対象で、特に放線菌抗生物質誘導因子(autoregulator)は1999年の退官に至るまでの私のメインテーマになり多くの共同研究者の寄与により成果を挙げることができた。また多数の卒論生、大学院生、ポスドクの研究論文課題となった。

時代とともに本学会の名称は大阪醸造学会、日本醗酵工学会、日本生物工学会と変化してきた。その間、本学会が関わる分野では分子生物学、遺伝子工学などの 手法が駆使されるようになり、私の研究対象である放線菌抗生物質誘導因子の作用機構なども遺伝子レベルで解明することができた。研究手段が進歩し、精緻になるにつれ、それにかかる試薬、装置、人件費などの費用は莫大なものになり、文部科学省の科研費は干天の慈雨であった。

さて、これらの研究成果がどれだけ日本産業に貢献したのかは定かではないが、現政権下の事業仕分けから判断するとどうであろうか。面白い研究成果ですね。しかしそれはどんな役に立つのですか? と聞かれると大学の研究者としては、成果は研究論文として国際誌に投稿しています。引用もよくされていますとしか答えられない。1980年に1年間のアメリカ留学の機会を与えられ、Stanford 大学Barry Sharpless教授(2001年ノーベル化学賞)の研究室に滞在し、工業的に役に立つ不斉合成反応を追求する姿勢を学んだ。その視点から私の当時の実用的な研究成果としてはむしろ費用のかからない有機合成と微生物酵素を併用した簡単な有用天然物の不斉合成法や新規酵素の開発があげられると思っている。

大阪大学を定年退官後は広島県福山市の私学福山大学に8年間勤務した。ここで私学と国立大学の学生の違いを痛感した。福山大学は研究も重視し、優れた教員を多数抱えていたが在職期間8年間における入学生の資質の低下は著しく、少子高齢化の日本の縮図が顕著に見られた。これからの我が国の自然科学系分野の人材育成は初等教育から見直すべきであろう。


著者紹介 大阪大学名誉教授

 

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