【随縁随意】未来技術の予測と検証のすすめ – 古川 謙介
生物工学会誌 第88巻 第8号
古川 謙介
21世紀がスタートして10年になる。新ミレニアムを契機にさまざまな分野で期待を込めた予言、予測がなされた。生命工学に対する未来技術予測も例外ではない。20世紀には科学技術の分野で画期的な発明発見が行われた。現在、我々が享受している生活の多くは20世紀の発明発見によって恩恵を被っている。1903年ライト兄弟による飛行機を皮切りにビタミンの発見、抗生物質、超伝導、合成繊維、コンピュータ、DNA二重らせん構造、トランジスタ、有人宇宙飛行、人類の月着陸、遺伝子組換え技術、スペースシャトル、インターネット、クローン羊など、取捨選択に困るほどである。翻って21世紀には何が発見、発明され、どんな生活が可能になるのだろうか。
1973年、遺伝子組換え技術が世の中に登場して間もなく米国議会はこの技術が産業に及ぼす可能性について調査した。“Impacts of Applied Genetics”の調査書が作られ、我が国では「遺伝子工学の現状と未来」と題して家の光協会から出版された。当時この本を読んで筆者は衝撃と大いなる興味をもった。35年経った今日、これを読み返すとすこぶる興味深い。当時、米国を中心とする学者が予想したことが現在、何がどれほど達成されているのかを検証することは予測に比べて気軽な作業ではある。早々に実現したもの、今後も実現しそうにないものなど、さまざまである。
現在、筆者の大学で1年生を対象にバイオテクノロジー論なる授業を行っているが、2000年に文科省が行ったライフサイエンス分野の未来技術予測調査を紹介している。これは我が国の学者の予言をまとめたものだが、学生と一緒にその実現性を議論し、検証するわけである。この中から筆者の興味でいくつか拾いあげてみたい。50種以上の有用動植物の全ゲノム構造解明(2009年)、タンパク質の構造から生物活性と機能ドメイン予測(2012年)、藻類によるバイオ燃料の生産(2014年)、生分解性プラスチックが全世界のプラスチック生産の過半数、遺伝子組換え農作物が社会的理解を得て普及(2015年)、花粉症やアトピー性などの解明が進み完全治療(2016年)、アルツハイマー病の進行阻止が可能(2017年)、空気中の窒素固定能をもつ作物の開発、砂漠化防止のための耐乾燥性・耐塩性植物の実用化(2018年)、そううつ病の原因解明(2019年)、宇宙空間での生物の飼育・栽培技術の開発(2020年)、生命起源の分子機構が解明(2025年)、生物進化の機構が解明され、実証試験(2028年)などなどである。予想の根拠は不明だが、希望的項目も混在しているようである。
科学技術の進展の裏で負の遺産も急速に増えた。生命は36億年前に誕生したが、20世紀後半からの生物圏の環境悪化は急速だ。ホモサピエンスは67億に増え、このまま増加が継続すれば近未来の更なる環境悪化、食糧とエネルギー不足は自明である。21世紀は科学技術によってもたらされた負の遺産を減らす方向に向かうことを期待したいが、ホモサピエンスの飽くなき欲望との戦いになるのであろう。医学の発達により人類の寿命が延びた。日本発のiPS細胞は2006年、世界で初めてつくられた。分化能と自己複製能をもつこの人工多能性幹細胞は、今後どのように利用されるのであろうか? 傷んだ臓器部品を交換することで病気を治し、寿命を延ばすことが可能になるであろう。しかし、それは自然の摂理に反していないだろうか? 人類にとって真に幸福なことであろうか?
オバマ米大統領は最近(2010年4月)、2030年代半ばまでに、火星の有人周回を目指すことを表明した。隣の中国上海では華々しく万国博覧会が開催されている。科学はミクロとマクロに向かって、未知への挑戦を続けている。現代人は往々にして日々の生活に追いまくられ、目先のことを片付けるのに汲々としがちだが、時には夜空を見て、頭から雑念を取り払って未来(技術)を瞑想したいものである。若い時に瞑想したことをメモにとって10年後、20年後に自身で検証することは楽しい作業であろう。
著者紹介 別府大学教授, 九州大学名誉教授