生物工学会誌 第88巻 第7号
依田 幸司

「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。」落語・講談の偉人伝の冒頭にいつも使われるので覚えた。良いことで名前を残したいものだが、大悪人として残ってしまうことも……と続けることもある。昨年の本欄に、バッハを聴きながら職業研究者について考察された鎌形洋一先生の名文が載った。本稿の依頼を受けたとき、まず頭に浮かんだのは、その中にあった「研究成果の賞味期間」という言葉と、冒頭の台詞である。研究者の名前の残り方が、日頃から何となく気にかかっている。

学生の頃から、「Publish or perish!」という標語を引き合いに出されて、どんな研究成果も論文を書いて学術雑誌に掲載されなければ消滅して何も残らないと、繰り返し教えられた。進行中の実験の楽しさや先々の成果への期待で、ついつい面倒な論文投稿を先延ばしにする我々への戒めである。思い返せば、バッハもヴィヴァルディも、生涯活躍したあと一度は世の中から完全に忘れ去られてしまった音楽家である。没後、かなり経ってから再評価があり、評価後は長く名声を保っている。自筆や写譜で残されていたものはよいが、失われていれば人類の至宝も取り返しがつかない。

微生物学の歴史について講義するとき、レーウェンフック(1632.10.24-1723.8.26)から始める。オランダの画家フェルメール(1632.10.31-1675.12.15)と一緒に洗礼を受け、遺産管財人にもなったなどと、名画をスクリーンに映して話し始める。「誰が最初に微生物を見たか?」である。レーウェンフック以前に「微生物を見た」人間はいたかもしれない。しかし、観察の報告を、フック(1635.7.18-1703.3.3)がいたロンドン王立協会に送り、機関紙に掲載されたからこそ、発見の栄誉が認められたのである。フックも、没後は若いライバルで後任の王立協会事務長ニュートンによって業績をほとんど抹消され、バネの伸びと力の法則くらいしか一般に名を留めていないが、コルクの細胞の図版を載せた不朽の著作「顕微鏡図譜(Micrographia)」が残されている。この頃に限らず、傑出した人物が同時期に活躍する歴史は限りなく興味深い。パスツールやコッホになれば、もっと具体的な微生物の話が楽しめる。賞味期間はだいぶ長い。

さて、生きている我々の評価など、あまりに暫定的でいつ消えるかしれないが、もう確定的な先代や先々代の頃の業績は、もっと讃えられるべきではないか? 日本の研究は欧米の真似と応用ばかりでオリジナリティがないのに製品を作り稼いでいるなどと、海外の政治家がでたらめな発言をしても、そのまま報道に垂れ流されてしまう。旨み成分の発見から発酵生産までを筆頭に、スタチンをはじめとする医薬や酵素の開発など応用微生物学の成果には、日本オリジナルな業績が無数にある。一度は埋もれた論文でも、インターネットで掘り起こすのは容易になった。企業の研究成果では、ひとりの人名を挙げるのは困難かもしれないし、科学に国境はないけれど、我国の微生物学研究者の名誉は、しっかり守り高めねばならない。

近代・現代の生物科学史の卓越した担い手が欲しい。


著者紹介 東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻(教授)

 

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