生物工学会誌 第87巻 第12号
伊藤 清

昔は大学にも「醸造学講座」なるものが存在したが、だんだんと姿を変え、今は生命科学・バイオテクノロジーを中心とした学科に生まれ変わりつつある。ホームページをみると「醸造」に特化した学科・研究室は、秋田県立大学・醸造学研究室(県立)と東京農業大学・醸造科学科(私立)ぐらいしかないという。

その中にあって、我が鹿児島学では平成18年度から「焼酎学講座」を立ち上げ、醸造の中でも特に「焼酎」に特化した教育・研究を行っている。これについてはいろいろ意見もあることと思うが、地域と密着した教育・研究を行うことには大きな意義を見いだす。また、学生や地域産業の評判も上々のようである。醸造とバイオテクノロジーには共通する部分も多いが、異なる側面も多々あると思う。その最たる部分は、醸造はバランスを重視するが、バイオテクノロジーはそれほどでもないことであろう。醸造物はできたそのものを賞味するが、バイオテクノロジーはその後の精製などでステップを更に踏むところにその原因があろう。

最近、最相葉月の「青いバラ」1)という書籍を読む機会があった。最新の遺伝子組換え技術を使えば青いバラの作製も可能だという。だがこの書籍の中で「青いバラができたとして、さて、それが本当に美しいと思いますか」という言葉を発見した時にはハッとさせられた。この意味はいろいろに取れるだろうが、青いバラを作出しても未だ求めている色とは違うという解釈も成り立つであろう。私は、遺伝子組換え技術は、法的規制や社会的コンセンサスは別にして、可能性を秘めた技術であろうと思う。ただ、現在の技術は未だ熟していないのが現状であろう。色に関して言えば、あざやかなものは作り出せても、中間色の発現はなかなか難しいのであろう。野に咲く花に思わぬ美しさを見いだすのも似たようなことであろう。

さて、醸造もこの「青いバラ」に似たような部分がある。日本では遺伝子組換え技術こそ使えないものの、似たようなことがトリフルオロロイシンやセルレニンなどに対する薬剤耐性を使って実現されつつある。かつては夢のような話であったが、吟醸香(エステルの果実様香味)を多量に産生する醸造用酵母の育種も比較的簡単に達成できるようになってきた。だが、この酵母でつくった吟醸酒が本当にうまいのかと考えると首をかしげざるを得ない。多分、吟醸香を造り過ぎているのではないかと思われる。良い酒とは香味のバランスが取れていることが重要である。吟醸香を適当に含んでいることが重要であるが、このことを達成するのは意外に難しい。

さて、研究として遺伝子組換えを使うのは別であるが、将来優良(微)生物の育種を目指すのであれば、中間的な形質の発現が達成されなければ難しいように思う。遺伝子組換えにおいても、原色ではなく、パステルカラーの発現が達成できるように望む。我々は、醸造の分野においてもっと微妙な育種技術を開発し、真の意味でのテーラーメイド的な醸造が可能となるよう努力していきたい。


1) 最相葉月:青いバラ、新潮文庫(2004)。
著者紹介 鹿児島大学 焼酎学講座 醸造微生物学研究室(教授)

 

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